「第十回酒折連歌賞」 総評
 

問いの片歌 一 ひだまりのポストに届く手紙の色は ( もりまりこ )

 遠くにボールを放つようにことばをなげかける。受け取ったボールの感触をてのひらに感じながら、思いを込めてことばのボールをまた放つ。問いの片歌と答えの片歌がひとつの世界をつくりながら片歌問答に親しむ形は、手紙のコミュニケーションに似ています。そんな思いもあって、「ひだまりのポストに届く手紙の色は」という問いをつくりました。応募してくださった方のエネルギーあふれる、たくさんの作品に出会えたことをうれしく思います。シンプルな問いかけでしたが、興味深かったのは結句にある「手紙の色は」という投げかけを、どんなふうに受け止めてくださるかにありました。いろとりどりの「手紙の色」が、五七七のなかに散りばめられている、鮮やかな答えの片歌の中にあって、とりわけ大賞受賞作の「眼隠しで遊んだ後の空の色だね」に惹かれるものがありました。色鉛筆や絵の具の中の色でこたえるのではなく、読む人の心象風景としても楽しめる句になっているところに魅力を感じる片歌です。誰もが馴染んだことのある目隠しをする遊びを詠っている初句の親しみやすさに導かれ、たちまち空の色へと昇華してゆくところなど、落ち着いた表現力が鮮やかです。アルテア賞においても、若い感性が存分に発揮された歌、短い言葉の中に日常を彩るドラマを感じる歌に出会えたことをうれしく思いました。「葉の緑溶かして揺れる誰の心か」十七才の詩情に満ちた作品が心にしみました。答えの中に込められたまっすぐな問いかけの眼差し。読む人の心に問いかける世界観が印象的です。
 これからもより想像の翼がひろがる作品に触れられることを楽しみにしています。


問いの片歌 二 誰にでも夢と知りつつ見る夢がある ( 今野寿美 )
 
 今回はじめて選考に参加し、応募数の多さに圧倒されながら、片歌問答の楽しさを味わいました。十代の活躍もめざましく、軽快な言語感覚から受けとめたこころよさが思い返されます。最終的な協議の場でも若い作者の作品が多くその対象となりました。そんななかで大賞に決まった「目隠しで遊んだ後の空の色だね」。お父さん世代といっていい作者の貫禄の句です。問いの片歌「ひだまりのポストに届く手紙の色は」に直球で返した印象ですが、目隠しという遊びによって、異空間から不意に戻ったような一瞬の戸惑いを個性的な場面として見せた巧さが光っています。
 佳作の「人と夢二つ合わせて儚いと読む」。「儚」の字解きに基づく句が目についた中で、知的な関心を素直に伝えたこの句が一番引き立っていました。率直さが強い押し出しとなったようです。作者は十三歳とのこと。感心しました。同じく佳作の「ペンギンは空をオウムは海を夢見る」。対句様式を巧みに取り入れて詩的センスに溢れています。愛敬あるペンギンと小利口なオウムの登場にもほほえまれました。同じく「木洩れ日に私をみちびくオオムラサキが」。オオムラサキの妖気に先導される気分が、十代の繊細さを匂わせて深みのある句です。


問いの片歌 三 朝もやの野のひとすじの道をたどれば ( 深沢眞二 )

  「酒折連歌」は今回で十回目を数えるわけですが、もはや他に例のない形式として独自の文芸ジャンルを確立させたと言っても過言ではありません。その独自性は、五七七・五七七という形式もさることながら、選者が問いかけ応募者がそれに答えるさいに、一種のゲーム性を伴うことにあります。この形式はいわば「対話」です。予定調和を完成してもらうよりも、「問い」が想定した表現世界を良い意味で裏切って意外性のある「答え」を返してもらえるほうが、「対話」は生き生きします。短歌や俳句のように、一人の作者が自分だけで作品を完結させる形式にはない、「対話」のゲーム性こそがこの形式の魅力だと、私は考えます。
 今回の第三の問いの片歌を用意したとき、「これは『道』という言葉が象徴的な意味を帯びて受け止められそうだ、人生とか時の流れとかを主題にした答えが多いのではないか」と想定しました。しかし、選考の結果、評価が高かったのはむしろ「朝の野の爽やかさ・生命感」を主題にした作品でした。上位入賞作を引きますと、「木洩れ日に私をみちびくオオムラサキが」は自然の風景の透明感を保ちながら「道」の先を描いて印象的です。入選の「羽化をせしごと遠足の子らの駈けくる」はまさに朝の野の生命感をクローズアップしてくれた作品です。意外性という点では、同じく入選の「墓があるそこに彫られた自分の名前」の空想の力が心に残りました。
 私は第一回から十年にわたり選考委員をつとめてまいりましたが、今回を以て降板ということにあいなりました。多数の応募者、関係者の方々に感謝しつつ、「酒折連歌」のさらなる発展を願っています。


問いの片歌 四 初雪やてのひらに受け歩みをとめる ( 三枝昂之 )

  舞いはじめた初雪を手に受ける。この新鮮な場面にあなたはどう反応しますか。これが今回の私の問いかけでした。てのひらに受けて歩みをとめるのですから、もう降りつのっているのではありません。ほんのり舞って、それを手に受けて「あっ初雪だ」と小さく感動する。「歩みをとめる」には、そんな気持ちが託されています。
 答の片歌には、まだ誰の足跡も付いていない雪道を歩いてゆく、といったプランも少なくありませんでした。初雪が舞って、本降りになって積もって、という経過を想定すればそれでもいいわけですが、むしろこの問答は「あっ初雪だ」という心動きの、その「あっ」をうまく生かせるかどうかがポイントです。それが生きれば、答は雪から離れてしまっても一向に構わないわけで、離れた方が新鮮な展開になり、問答になります。
 そうした観点から私は多くの答の片歌に注目しましたが、ここではスペースの関係で四句だけを挙げておきましょう。
@恋なんだそう気がついた十六の冬 
A娘さん下さいなんてありきたりかな
Bこの腕で他人を傷付け他人を抱く
Cなんとまあ初孫誕生祝うようです
@は十六歳のときの「あっ」を思い出し、Aは結婚の許可をもらいにゆくときの迷いを初雪が励ましているのですね。Bはてのひら論といったものに広がったところが新鮮、Cはめでたさで受けたところが楽しいですね。 来年の問答にもさまざまな工夫を楽しんでください。期待しています。


問いの片歌 五 旅立ちのみんな揃いて夕日まんまる ( 広瀬直人 )

 選に当たって何といっても張り合いのあるのは、はっとさせられる答えの片歌との出会いです。そこには、こちらの予想とどこかで重なっていて共感の得られるのもありますし、またこちらが思いもかけていなかった発想から作られたものもあります。どちらが有利か不利かということは全く別で、どちらにしても作品が選者の心をうつ度合いには変わりはありません。選の場合、私がまず注目するのは、この答えは問いをどう受け入れているのかという点に絞られます。これは二つの間に置かれた距離とも関わってきます。『記して述べず、こめて飛躍する』という言葉があります。つまり問いの内容に即しすぎても離れすぎてもいけない、ある距離を置いた場面の転換の必要性を示唆しているのです。あゝ、こんな受け方もあったのだという驚きから生まれる問いの選者と答えの作者との共感の世界です。それともう一点、言葉はあくまでも平易、そして五音と七音のつながりが醸し出すなめらかなリズムです。
ところで、私の提示した問いの片歌は番号は五、「旅立ちのみんな揃いて夕日まんまる」でした。旅立ちは朝と考えるのが普通ですが、仮に場面を夕日に置いて、しかも目の前に『まんまるの夕日』があったらどんな感興が湧くだろうと思ったのが、この問いの意図でした。
太陽の赤い大きな胸に飛び込む
あの日より大きくなった僕たちの影
また会おう指切りをしてさよならの道
この三作が、私の推したベストの作です。真っ赤な夕日に染まって明日に向かって旅立とうとする意志。今の時代に必要な最も大事な姿勢ではないでしょうか。

 
大賞選評

広瀬直人 先生(選評)

問いの片歌 一 ひだまりのポストに届く手紙の色は

眼隠しで遊んだ後の空の色だね

 眼を両手でふさいだ子を一人真ん中に置いてぐるぐるその周りを回ったあと、うしろに立っているのは“だあれ”と聞いて当てさせた遊びは、ある世代の人には誰の思い出の中にもあるでしょう。この「眼隠し」がその遊びであるかどうかは別にしても、今、作者の目の前にある「手紙の色」から楽しかった遊びの後に見上げた空の色に思いついた素直さと豊かさに共感しました。使われている言葉も平易、従ってリズムもなめらか。特に結びの「だね」という会話体の語感はより親しさを感じさせます。

 
佳作選評

(佳作)      三枝先生 (選評)

問いの片歌 三 朝もやの野のひとすじの道をたどれば

木洩れ日に私をみちびくオオムラサキが

 朝もやの野の道ですから、うるおいがあって朝のすがすがしさを感じさせ、まだ人の気配もなくてしかもひとすじ。ウォーキングにはこれ以上ない設定を問いの片歌は示しています。このさわやかさをどう生かすか、興味深いプランがいろいろありましたが、ここではオオムラサキが加わる。つつじの園芸品種にもオオムラサキはありますが、野の道ですから、やはり蝶の方が自然でしょう。木洩れ日も加わって、朝もやが次第にはれて視野が広がる風景が見えてきます。
 素敵な風景の展開で問答を構成したところにこの片歌の魅力があります。


(佳作)     今野寿美 先生 (選評)

問いの片歌 二 誰にでも夢と知りつつ見る夢がある

人と夢二つ合わせて儚いと読む

 字解きの句である。人が抱く夢といえばロマンに満ちた意味をもってよさそうなのに、実際には「儚い」という一字。なるほど人の夢ほど儚いものはないのだと納得するところに皮肉なおかしみもたちあがる。同じ発想の句が目につくなかで、最終的に選んだのが一番幼い作者のこの句だった。単刀直入に述べて率直なひとことが強い押し出しとなっており、その明快さがいい。知的な関心を素直に伝えつつ、問いの片歌を現実的な意味へと広げて無駄のない、出色の答えの片歌と思う。十三歳の作品とあって感心した。



(佳作)    今野寿美 先生 (選評)

問いの片歌 二 誰にでも夢と知りつつ見る夢がある

ペンギンは空をオウムは海を夢見る

 夢はあくまで夢であるとすれば永遠のものともいえる。そのイメージを、姿に愛敬あるペンギンと、やたら小利口なオウムに代表させ、空と海の一対もきわやかに片歌のなかにこめてみせている。軽快な運びで、空間の広がりが快く印象づけられるところも若々しく詩的な味わいがある。理詰めな反応からは、このような答えは生まれない。柔軟な感性の作者を思った。問いの片歌に即しすぎた答えが数の上ではたいへん多かったが、「夢見る」と結びながらも自在な展開を示し得ている。すばらしい。

 
特別賞(アルテア賞)選評

もりまりこ 先生(選評)

問いの片歌  四  初雪やてのひらに受け歩みをとめる

三時間待ったあの日も初雪だった

 舞い始めたちいさな雪のひとひらに気づいて、おもわず立ち止まりたくなる瞬間。てのひらの上でとけてしまいそうな初雪をみて、歩みをとめたせつな、時間が後戻りしたみたいに過去の想いが甦る。まるで、初めての雪が昔の記憶を引き出してくる時間の栞のような作品に仕上がっているところに惹かれました。誰かを待ち焦がれたあの日の雪と、今てのひらの上でほんのりとした重さを携えたこの雪も、同じに見えるのにどこかが違う。すこし時間が経ったんだなって思う。雪の冷たさと思い出の温かさが相俟って、叙情的に表現されています。

 
 
 
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