一般部門 大賞・文部科学大臣賞 今野寿美 先生 (選評)
問いの片歌三 しおりする文庫本には永遠がある
答えの片歌 横顔の子規がくるりと正面を向く 渋谷史恵 宮城県
多くの人の記憶に甦る子規の横顔。きれいな丸みを帯びた頭の形とともに印象的です。正面の写真もありますが、失礼ながらけっして美形ではありません。親友だった夏目漱石の端正な面立ちとずいぶん違って気の毒なほど。渋谷さんもそのあたりをよく心得て、代表的な肖像に前を向かせたのだと思います。大胆なものいいで俳句・短歌の革新に先鞭をつけた子規が、いきなり正面を向いてニヤッとでもしそうな迫力です。子規の業績はなお読み継がれ、横顔も記憶されるに違いないけれど、わずか五七七のなかでこっち向きにさせた手腕。見事な機転です。
一般部門 山梨県知事賞 宇多喜代子 先生 (選評)
問いの片歌四 みそ汁にご飯にそえてこの皿二枚
答えの片歌 私にはビタミンと鉄愛が足りない 三枝新 山梨県
さて「この皿二枚」に何を盛るのがいいのか、そんな楽しみで「答え」の応募作歌の一枚一枚を拝見しました。日本の朝ごはんによくある玉子焼き、干物、漬物などが多かったのですが、なかには馬が二頭入っていたり、昔の恋の残骸がしなびたまま盛られていたり、じつにいろいろでした。答えとしていいと思ったのは、「ビタミン不足・鉄不足」というごくありきたりの食品を連想させるところから、ぐいと「愛」の不足に飛躍したところ、ニヒルな気持ちを明るくとらえたところ、それをさりげなく表現していていいと思いました。
一般部門 山梨県教育委員会教育長賞 三枝エ之 先生 (選評)
問いの片歌三 しおりする文庫本には永遠がある
答えの片歌 白球が雲に重なる瞬間がある 山本高聖 山梨県
問いには「永遠」という言葉が含まれていますが、答えのキーワードは「瞬間」。対照的な時間ですね。しかしよく読むと問いの片歌にも実は瞬間を感じさせる時間が含まれています。栞を挟んで永遠をしばし閉じるための一瞬です。そこを見逃さなかったのがこの答えの片歌の鋭いところです。そして山本さんはその一瞬を青空のドラマに空間移動させたのです。しかも夏の高校野球における大ホームランを思わせる思いっ切り健やかな場面。雲と白球という視覚的にも鮮やかな場面。カーンという快音も聞こえてきそうです。
一般部門 甲府市長賞 井上康明 先生 (選評)
問いの片歌一 栃の実をつぶてのように握りたるまま
答えの片歌 秋空は静かな指を知っているから 永澤優岸 神奈川県
季節に焦点を絞っているところは、問いの片歌の青春を思わせる生な表現よりさらりと瀟洒な印象があります。しかも「秋の空は静かな指を知っている」と「握りたるまま」という差し迫った表現をはぐらかすように、冷やかに真実を述べるといった態度が、物影が澄んでゆく秋の季節の感じを活かしています。問いの片歌の問いかけを、季節の奥行ある風景として受け止め、その熱気を覚ますように秋の空の広がりへ視点を転じ、そこに遥かな時間の経過を表現して切り返しています。洗練され、洒落た大人の表現であると思います。
アルテア賞部門 大賞・文部科学大臣賞 辻村深月 先生 (選評)
問いの片歌三 しおりする文庫本には永遠がある
答えの片歌 終わりゆく本のページとはじまるわたし 安藤智貴 山梨県
本というのは、出てくる一文で、時として読んだその人の一生を変えてしまうような力を持つものです。手のひらに収まるようなサイズの文庫本であっても、その本が自分の人生を決めてしまう場合もある。
読み終えた本から得たものによって始まる自分を爽やかに予感するこの答えは、さながら本の内容を養分に、そこからぐんぐんと伸びていく若い木々や新芽の美しさを見るようでした。
特にいいのは、「しおりする文庫本」に対し、「終わりゆく」と受けているところです。読み終わる前にもう、その本が自分の一部になるであろう、そこから何かが始まるだろうと感じられる。この鮮やかな「予感」の感覚が素晴らしかったです。
アルテア賞部門 もりまりこ 先生 (総評)
今年のアルテア賞も、とてもこころふくよかな作品に、いくつも出会えたことをうれしく思います。大賞の安藤智貴さんの「終わりゆく本のページとはじまるわたし」。「しおりする文庫本には永遠がある」への答えの片歌ですが、この作品に込められた思いは、一冊の本からはじまる、じぶんとの対話の時間です。五・七・七の片歌の中にとても豊かな時間が流れている作品です。また大賞以外にもたくさん素敵な答えの片歌と出会えることができました。
「ひきしおがちかくて遠いひとりとひとり」への答えの片歌。山谷菜月さんの「届いてよ感情の海君の左手」も、今までのアルテア賞では、あまり見受けられなかった、とても感覚的な作品です。言葉に引き寄せられるのではなく、心動かされるままに言葉を紡ぐ、リズム感あふれる世界が魅力です。
圓?由璃花さんの「風になる我を忘れて我を探しに」という作品にも心惹かれました。昔よく聞かれた〈自分探し〉とは、アングルの違う印象を持ちました。「栃の実をつぶてのように握りたるまま」の内面に向かう自分を健気に忘れるまで、風と一体になっている無心さが、すがすがしいです。
十代の限られた時間の只中でしか描けない世界が確実にあることを、ひしひしと感じることができました。次回も、こころのままに表現された作品をどうぞお寄せください。 |