第十六回酒折連歌賞 総評


問いの片歌一 栃の実をつぶてのように握りたるまま  井上康明 先生

 この度はじめて酒折連歌賞の選考をつとめさせていただき、この酒折連歌は、他にはない独自の連歌であるという思いを強く抱きました。
 栃は、夏、冠のような花を咲かせ、秋になると、実が熟して皮が裂け、つぶてとして投げるのにちょうど良い大きさの三、四センチほどの茶色の種が、地面に落ちます。ですからこの問いは、秋の風景と考えることができますが、そのように季節の推移に注目して答えた方は多くはありませんでした。栃の実を握ったままその人が何をしようとしているか答えた片歌が大半を占めました。「孵化を待つ卵のように心を閉じて」と答えた梅山すみ江さんの答えの片歌は、その栃の実を握ったままの人が、これから成長してゆく過程にあると考えています。栃の実を握る姿を、少年や少女が心を閉ざしている姿として、まだ雛が孵ることのない卵に喩えています。失意の状態を成長の過程にあると捉えているところが独自で、常識を覆し、マイナスをプラスに転じています。同時にこの比喩は、主人公を少年とも少女とも特定せず、「心をとじて」といいさしのまま終わっています。この表現は、成長の過程にある人のさまざまな姿の連想を呼ぶ表現と言えるでしょう。
 合志強さんは、さらに突き放して「人類は二重螺旋をただ駆け上る」と答えています。栃の実を握る人の姿を、人類が遺伝子を繋ぐ永遠の光景として描いているところに格別の味わいがあります。


問いの片歌二 ひきしおがちかくて遠いひとりとひとり  もりまりこ 先生

 今回の片歌の舞台は、海辺の風景に設定してみました。潮の満ち引きに出会う時の、あの不思議な地球の営み。そんな問いかけに、たくさんの答えの片歌をいただきました。
 年月を重ねた方々の作品は、ひきしおという現象を、からだいっぱいで受けとめながら、人間も自然の一部であるという観点を片歌に込めて。若い世代の方々は、「ひきしおがちかくて遠い」のではなくて、「ひとりとひとり」である自分たちの距離こそが、「ちかくて遠い」という心情を片歌に託されて。
 また、「ひきしお」がどこか遥かへと連れていってしまった大切な思い出を、綴っていらっしゃる作品なども、多く見受けられました。
 あたらしい記憶や、こころがふるえるような懐かしい記憶を頼りに、答えの片歌の世界を拵えている、切実な思いを感じ取ることができました。
 問いの片歌が、なにかの世界の鍵だとしたら、答えの片歌は、その鍵を用いてどこかへと開かれてゆく扉のようなものなのかもしれません。
 応募作品を拝見しながら、問いの片歌は答えの片歌に出会うことで、開かれてゆくのだと思いました。たとえば開かれてゆく場所は、じぶんやどこか誰かを超えた遠くでも、じぶん自身の内側でも、いいのかもしれません。
 こころを自由に解き放つような、酒折連歌の作品に、ふたたび出会えますことを楽しみにしています。


問いの片歌三 しおりする文庫本には永遠がある  今野寿美 先生

 もうずいぶん前のことですが、駅で前をゆく青年が単行本に指を一本はさんだまま持ち歩いていました。自分自身、慌てて電車を降りるときなど、指をはさんだままということは今でもあります。ただ、青年が読むのを中断した状態で一冊携えている姿はいかにも新鮮で、かっこよく見えました。
 あるいは、これも電車を降りようとするときなどに、栞をそっと移してはさみ、本を閉じます。当たり前のささやかな仕草ですが、それが誰であっても、その仕草じたいが美しいと思えます。黒田清輝の「読書」では、フランス女性が親指と人差し指の先をページの端にちょっとだけ触れて繰る用意をしていますが、あの指のかたちにも、楽器を演奏するのとはまた別の美しさが感じられます。
 本にまつわる仕草が心を惹きつけるところに、本の世界の無限の広がりは大きく作用しているはずです。紙を束ねた本というものの魅力は永遠であると思ったことが、今回の問いの片歌のきっかけでした。愛らしい文庫本のかたちにせよ、電子書籍がどんなに浸透したところで消えるとは思えません。栞をする文庫本には、その内容とともに、かたちとしての永遠があると思いました。
 多くの答えの片歌が、自在に飛翔して思いがけない着地点に至っていました。それはつまり、文庫本の愛おしさに多くの共感をいただいたということ。そんな気がして、それが何より嬉しい手応えでした。


問いの片歌四 みそ汁にご飯にそえてこの皿二枚  宇多喜代子 先生

 多くの作品のなかで、これはおもしろいと感心させられたのが〈横顔の子規がくるりと正面を向く〉でした。だれもが知っている正岡子規の横顔の写真、この子規を動かしたのです。それも軽々と「くるり」と。「なにか用ですか」そんな子規の声が聞こえるようです。実際には不可能なことを言葉の自在で可能にする、詩はそんなところに潜んでいます。
 惜しくも入賞を逃した作品にもユニークな答えがたくさんありました。
 「問い」は答えを求めておりますので、そこを無視することはできません。かといって、あまりにも数式の正解のようなズバリの「答え」が戻ってきてもつまらないし、飛躍が独善的に過ぎてもつまらないのです。そこが、この連歌というゲーム要素をもった「問い」と「答え」の、高踏にして卑近な魅力に満ちた共同作業のおもしろいところなのです。
 学生や若い方の応募が多く、百選の中にも中学生高校生の応募作品が数々見られました。
そんな中で四の問いに対して〈黒色と紫色の謎の物体〉という答えに出会った瞬間、ぞぞっと迫ってきた環境の不安。また一の答えの〈その右手ベビーカーからはみ出している〉の木の実を握った手の存在感にもハッとさせられました。
 多少の欠点はあっても、いろんな世代の方々や、いろんな地域の方々の「答え」には、みな生きて何かに感動している活力が感じられ、今後を期待したく思いました。


問いの片歌五 十年後の私と銀杏並木をあゆむ  三枝エ之 先生

 十年後の自分と一緒に歩むことになったら、さてあなたはどうしますか。これが私の問いの片歌です。
 そんなことできるわけないといった答えもありました。でも現実には無理でも詩歌や小説の中では可能です。夢や空想と同じように現実から一歩自由になる。それが文学の楽しいところです。
幸せか幸せだったかお互いに問う
 たとえば十五歳と二十五歳。違うけれども同じ自分だから奇妙な親愛感はある。おたがいを気遣う問いかけがそんな関係を生かして注目しました。
  あの時の恋のパズルに最後のピースを
 中学時代の告白しないままの恋をイメージしましょうか。やはりちゃんと完結させようよ。中学生の私が二十代の私をそう励ましている、逆に二十代の私が今の私にハッパをかけている。どちらにも読めますが、それを未完成のパズルにたとえたセンスに感心しました。
  本当に私はあなたになれるだろうか
 十年後のまぶしい自分を想像しながらも、そこにたどりつけるかどうかはわからない。手探りする思春期ならではの内面が生きている答えとして印象に残りました。
 さまざまな年齢層が一つの問いへの答えを競い合うところに酒折連歌の楽しさがあります。来年も楽しみながら答えの片歌を寄せてください。

 
第十六回酒折連歌賞 選評


一般部門 大賞・文部科学大臣賞  今野寿美 先生 (選評)
問いの片歌三 しおりする文庫本には永遠がある
答えの片歌  横顔の子規がくるりと正面を向く  渋谷史恵 宮城県

  多くの人の記憶に甦る子規の横顔。きれいな丸みを帯びた頭の形とともに印象的です。正面の写真もありますが、失礼ながらけっして美形ではありません。親友だった夏目漱石の端正な面立ちとずいぶん違って気の毒なほど。渋谷さんもそのあたりをよく心得て、代表的な肖像に前を向かせたのだと思います。大胆なものいいで俳句・短歌の革新に先鞭をつけた子規が、いきなり正面を向いてニヤッとでもしそうな迫力です。子規の業績はなお読み継がれ、横顔も記憶されるに違いないけれど、わずか五七七のなかでこっち向きにさせた手腕。見事な機転です。


一般部門 山梨県知事賞 宇多喜代子 先生 (選評)
問いの片歌四 みそ汁にご飯にそえてこの皿二枚
答えの片歌  私にはビタミンと鉄愛が足りない  三枝新 山梨県

 さて「この皿二枚」に何を盛るのがいいのか、そんな楽しみで「答え」の応募作歌の一枚一枚を拝見しました。日本の朝ごはんによくある玉子焼き、干物、漬物などが多かったのですが、なかには馬が二頭入っていたり、昔の恋の残骸がしなびたまま盛られていたり、じつにいろいろでした。答えとしていいと思ったのは、「ビタミン不足・鉄不足」というごくありきたりの食品を連想させるところから、ぐいと「愛」の不足に飛躍したところ、ニヒルな気持ちを明るくとらえたところ、それをさりげなく表現していていいと思いました。


一般部門 山梨県教育委員会教育長賞 三枝エ之 先生 (選評)
問いの片歌三 しおりする文庫本には永遠がある
答えの片歌  白球が雲に重なる瞬間がある  山本高聖 山梨県

  問いには「永遠」という言葉が含まれていますが、答えのキーワードは「瞬間」。対照的な時間ですね。しかしよく読むと問いの片歌にも実は瞬間を感じさせる時間が含まれています。栞を挟んで永遠をしばし閉じるための一瞬です。そこを見逃さなかったのがこの答えの片歌の鋭いところです。そして山本さんはその一瞬を青空のドラマに空間移動させたのです。しかも夏の高校野球における大ホームランを思わせる思いっ切り健やかな場面。雲と白球という視覚的にも鮮やかな場面。カーンという快音も聞こえてきそうです。


一般部門 甲府市長賞 井上康明 先生 (選評)
問いの片歌一 栃の実をつぶてのように握りたるまま
答えの片歌  秋空は静かな指を知っているから  永澤優岸 神奈川県

 季節に焦点を絞っているところは、問いの片歌の青春を思わせる生な表現よりさらりと瀟洒な印象があります。しかも「秋の空は静かな指を知っている」と「握りたるまま」という差し迫った表現をはぐらかすように、冷やかに真実を述べるといった態度が、物影が澄んでゆく秋の季節の感じを活かしています。問いの片歌の問いかけを、季節の奥行ある風景として受け止め、その熱気を覚ますように秋の空の広がりへ視点を転じ、そこに遥かな時間の経過を表現して切り返しています。洗練され、洒落た大人の表現であると思います。


アルテア賞部門 大賞・文部科学大臣賞  辻村深月 先生 (選評)
問いの片歌三 しおりする文庫本には永遠がある
答えの片歌  終わりゆく本のページとはじまるわたし  安藤智貴 山梨県

 本というのは、出てくる一文で、時として読んだその人の一生を変えてしまうような力を持つものです。手のひらに収まるようなサイズの文庫本であっても、その本が自分の人生を決めてしまう場合もある。
 読み終えた本から得たものによって始まる自分を爽やかに予感するこの答えは、さながら本の内容を養分に、そこからぐんぐんと伸びていく若い木々や新芽の美しさを見るようでした。
 特にいいのは、「しおりする文庫本」に対し、「終わりゆく」と受けているところです。読み終わる前にもう、その本が自分の一部になるであろう、そこから何かが始まるだろうと感じられる。この鮮やかな「予感」の感覚が素晴らしかったです。


アルテア賞部門 もりまりこ 先生  (総評)

  今年のアルテア賞も、とてもこころふくよかな作品に、いくつも出会えたことをうれしく思います。大賞の安藤智貴さんの「終わりゆく本のページとはじまるわたし」。「しおりする文庫本には永遠がある」への答えの片歌ですが、この作品に込められた思いは、一冊の本からはじまる、じぶんとの対話の時間です。五・七・七の片歌の中にとても豊かな時間が流れている作品です。また大賞以外にもたくさん素敵な答えの片歌と出会えることができました。
 「ひきしおがちかくて遠いひとりとひとり」への答えの片歌。山谷菜月さんの「届いてよ感情の海君の左手」も、今までのアルテア賞では、あまり見受けられなかった、とても感覚的な作品です。言葉に引き寄せられるのではなく、心動かされるままに言葉を紡ぐ、リズム感あふれる世界が魅力です。
 圓?由璃花さんの「風になる我を忘れて我を探しに」という作品にも心惹かれました。昔よく聞かれた〈自分探し〉とは、アングルの違う印象を持ちました。「栃の実をつぶてのように握りたるまま」の内面に向かう自分を健気に忘れるまで、風と一体になっている無心さが、すがすがしいです。
 十代の限られた時間の只中でしか描けない世界が確実にあることを、ひしひしと感じることができました。次回も、こころのままに表現された作品をどうぞお寄せください。



 
     
 

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