一般部門 大賞・文部科学大臣賞 三枝エ之 先生 (選評)
問いの片歌一 自転車のギヤを一段あげよう今朝は
答えの片歌 立ち漕ぎでアンナプルナを上り切るため 今村光臣 山梨県
私の愛車は十二段変速、ギヤを上げるとさあ行くぞとテンションも上がります。さてどんな「さあ」にするか、この答えの片歌、なんとアンナプルナに挑むため。思いっ切り飛躍したプランに驚きました。アンナプルナはネパール・ヒマラヤの中央部に聳え、人類が足跡を刻んだ初めての八千メートル峰。チョモランマよりは低いけれど、もっとも危険な山とも言われいます。立ち漕ぎでも到底無理ですが、無理に挑むのが詩のいいところ。みごとな「さあ、行くぞ」となりました。
一般部門 山梨県知事賞 井上康明 先生 (選評)
問いの片歌五 歩くこと走ること風の声を聞くこと
答えの片歌 不確かなでも確実な存在証明 伊賀部千代 福岡県
問いの片歌に一瞬の揺らぎを見せながら、しっかりした声で答えています。歩く、走る、風の声を聞くという具体的な行為と、答えの片歌の「存在証明」という抽象的なことばが繋がって、思索へと誘います。歩く、走る、風音を聞くといった最も単純な動作は、文明の進展によって、さらには今、戦争や災害によって脅かされ、危ういものになっています。しかしそれは最も確実な人間の存在証明なのです。人の存在や肉体が危うく不確かなものになった現代に、最も単純な動作が、人にとって最も大切な行為であることに気づかされ、それは深遠な人生の真理を語っているようにも思われます。
一般部門 山梨県教育委員会教育長賞 宇多喜代子 先生(選評)
問いの片歌二だれか来る木々の匂いと風をまといて
答えの片歌 参観日一番乗りの僕の父さん 秋山恵里 山梨県
まず「だれか来る」という呼びかけではじまる問いはそれだけでミステリーです。しかも「木々の匂いと風」という目には見えないものをまとって来るのです。
参観日という緊張する授業に「僕の父さん」が同級生の誰の親御さんよりも先に来てくれたのです。いつもうちで見るお父さんとは違うお父さんです。
木の匂いや風の動きなど、気がつかない人には何の興味もないものでしょうが、だれもが知らず知らずのうちに精神の滋養にしているものです。お父さんにそんな匂いや風を感じた気分の答えでした。
一般部門 甲府市長賞先生 今野寿美 先生(選評)
問いの片歌三 啄木のひたいに触れて聞くかなしみは
答えの片歌 キツツキになれずあなたの心も打てず 今田紗江 徳島県
早熟だった石川一は、中学時代からいくつもの号を用いましたが、啄木鳥(きつつき)からきている啄木の名を愛し、二十六歳二ヵ月で果てたときの戒名も「啄木居士」でした。今田さんはその名に心を寄せて、自分もキツツキであるなら存分に幹をつつくであろうに、とロマンチストになりきれない口惜しさをにじませています。もちろんそれは人を想う心情に発しているわけですから、一人の人への想いが届かないかなしみに言い及ぶかたちになっています。啄木も恋多き青年で、けっこう愉快な失敗談も残しています。歌人啄木の面白さが甦る楽しい片歌です。
アルテア部門 大賞・文部科学大臣賞 辻村深月 先生 (選評)
問いの片歌三 啄木のひたいに触れて聞くかなしみは
答えの片歌 はきはきともの言うきみが救ってくれる 水野真奈香 静岡県
小・中・高校生の歌を対象としたアルテア部門のいいところは、学校という場所で過ごす多感な時間が歌の中にまるごと映りこむところだと思っています。それはまるで、時間と一緒に思い出を保存するタイムカプセルのように。
「啄木のひたいに触れて聞くかなしみ」は、おそらく誰にも打ち明けることなく、ひとり、心の中で繰り返し反芻するような静かな「かなしみ」なのでしょう。その「かなしみ」に浸るあなたを、目の前にいる誰かの──あるいは、時の向こう側にいる歌人の、「はきはきと」した物言いが救ってくれる。ひとりのかなしみの殻が他者の存在によって鮮やかに破られる瞬間を切り取ったこの歌に、胸がすくような物語性を感じました。救ってくれる「きみ」とのやり取りが、色褪せることなく歌に記憶されていくというのは素晴らしいです。
アルテア部門 もりまりこ 先生 (総評)
ひとつの問いがあって、またひとつの答えがある。でもそのひとつの答えに辿り着くまでには、数えきれないほどの時間と思いが、揺れ動いていて。片歌と片歌をつなぐその行為は、とてもしずかなもののはずなのに、そのなかのひとりひとりの心の動きの軌跡をとらえることは、計り知れないほどおおきなものなのかもしれません。
アルテア部門の作品を拝見していて感じるのは、若い作者のそんな未知数のこころの振幅です。「啄木のひたいに触れて聞くかなしみは」に対しての大賞作品の片歌、「はきはきともの言う君が救ってくれる」啄木に託したい切実な思いの片歌を受けて、深刻になりすぎない気負わなさで表現されています。啄木への信頼感がひしひしと伝わってきます。人と人が、まっすぐ光のあたる部分だけを信じて、軽やかに答えているところが、魅力です。
もうひとつ印象的だった作品「うずまきの指で描いたちいさいいのち」への答えの片歌、「君の手に淡い炎は燃えていますか」ここにはイメージゆたかな独自の世界観が広がっています。うずまきの指から始まったまだ双葉のような情熱の種が「淡い炎」となってささやかに燃えている。この疑問型は誰かへの言葉でもあるし、自分自身への問いかけなのかもしれません。
アルテア部門の作品に触れる度に、応募作品の片歌が放つきらめきに未知の可能性を感じています。来年も、生まれたての答えの片歌に出会える喜びを皆様と分かち合えることを、楽しみにしています。 |