第十九回酒折連歌賞 総評


問いの片歌1  百年を考えている夏目漱石  井上康明 先生

酒折連歌は、俳句とも短歌とも異なる独自の応答による詩歌の形式です。五七七の問いの片歌に、答えの片歌を同じく五七七で返して問答が完成します。語りかける問いに対して、それをしっかり受けながら独自の思いや情景を描いて答えます。問いの片歌と答えの片歌の双方に作者の個性が表れ、その生き方や人生への思い、その人を取り囲む環境、時代の雰囲気や情況が反映すると言ってよいでしょう。
 今回の問いの片歌の中でも、「十字路で迷子になったちいさな羊」「ニホニウム113をはじまりとして」「百年を考えている夏目漱石」は、過ぎ去った歳月を思わせつつ、新しい時代への転換点に際して、新たな出発を促す問いかけであったように思います。
 大賞を受賞した渕上友美奈さんの「動物にお邪魔しますと二礼二拍手」という作品は、自然に対する畏敬の念を思わせる「森へ入る儀式のように小声でうたう」という問いに対する答えの片歌ですが、自然への尊崇の思いを共有することで、非日常の別世界へ足を踏み入れることに成功しました。同時にそこに棲む動物への親近の情、また二礼二拍手という神前での動作がユーモアのあるあたたかい姿として伝わってきます。
 「十字路で迷子になったちいさな羊」に対する塔筋一春さんの「迷うほど歩いてみたい自分の足で」には、未来への夢と希望が若々しく詠われています。現在の自分自身を真摯に見つめ、個に即して率直に表現しているところが魅力です。


問いの片歌2  森へ入る儀式のように小声でうたう 宇多喜代子 先生

今年も例年とおなじく、全国の酒折連歌ファンから数多くの「答え」が寄せられました。ウームと考えさせる答え、おもわず噴き出してしまうような滑稽な答えなど、多彩な答えの選にかなりのエネルギーを投じました。
 「森へ入る儀式のように小声でうたう」と投げかけられたとき、この作者は森の先住者である「動物に」対して、まず「お邪魔します」と挨拶をしたのです。ついで神を崇める儀礼として「二礼二拍手」をして、おもむろに小声でうたいながら森へ入っていく、というのが渕上友美奈さんの答えでした。
 この答えがよかったのは、森に対する敬虔な気持ちがよく理解されていたことです。縄文の昔から人々は森に畏怖の気持ちを抱きつつ森の恵みを受けて生きてきました。一木一草にも魂が宿っているという自然神への畏怖です。
 答えのなかには「カラオケがないんですけど田舎の町は」「助動詞の活用をまだ覚えられない」など愉快なものもありました。問いの本意をのみこんだうえで、まったく無関係な答えを用意するという手法もあります。俳句でいう「ニ物衝撃」「配合」の妙味に似た方法だと言えそうです。
 五音と七音で構成されているにもかかわらず短歌でもない俳句でもないという酒折連歌ならではの、他にないおもしろさの溢れた「答え」たちでした。


問いの片歌3  手を洗う水に季節の移ろいを知る  三枝エ之 先生

人生には、そして日々の暮らしには、いろいろな節目が訪れます。節目を曲がり角といってもいいでしょう。私の今回の問いの片歌は、あなたにはどんな節目が訪れますか、それにどう対処しますか、という問いです。それを暮らしの中でもっとも身近な手を洗うときの水の温度の変化に込めたのでした。
  答の片歌で一番多かったのは夏への変化、あるいは冬への変化でした。これはごく順当なプランですが、同じような答が並びますから余程の工夫も求められます。その中で私が注目した句が矢野優理恵さんの「何回も蛇口ひねったインカレの朝」でした。夏という行動的な季節がよく生きていてテンポも快いからです。人生の節目というプランでは小山春佳さんの「来年は都会の水で知るのだろうか」でした。地元の高校を卒業して大学への進学を意識しているプラン。水の違いが効果的に示されています。プランとしては季節ですが表現の工夫が評価されたのが「村中が素焼のように麦の秋晴」でした。「素焼きのように」という比喩が麦秋の色彩感を見事に生かしているのです。
 どう答えるか。折角の機会です。失敗を怖れず思い切ったトライを試みて下さい。


問いの片歌4  十字路で迷子になったちいさな羊  もりまりこ 先生

だれかがなにかを問いかける時、そこに耳をすましてくれるひとがいることの幸せ。いつも酒折連歌賞の作品を拝見するとき、そんな思いに駆られることがあります。
 今年は「迷える子羊」をキーワードにしてみました。応募作の中には、道に迷った羊をご自分に見立てているものや、小中高生のみなさんには、眠れないときに数える羊のほうがイメージしやすかったせいか、「百匹の羊」を詠んだ片歌がたくさんありました。とりわけ印象深かったのは、市長賞を受賞された九五歳の塔筋一春さんの「迷うほど歩いてみたいじぶんの足で」と、十五歳の小澤遥輝さんの「一匹二匹ねむれぬ人の夢のなかへと」でした。片歌にたくされたそれぞれの想いがとても愛おしくなる作品でした。塔筋さんのご自分の道を振り返りながら思うあしたへの希望。小澤さんの、眠れない人の夢のなかにすいこまれてゆく羊のイメージはとてもユニークで、誰かのことを気に掛けるやさしさに満ちた答えでした。年齢を問わず、いまの思いを片歌に込めながら、その歌を目にした方が、そこに描かれた思いを共有して、こころがつながってゆく。
酒折連歌賞の魅力は、まさにそんなところにあるのだと気づかされます。問いと答えがそこにあるだけで、ぽっかりとあたたかくなるようなそんな作品に、来年も出会えますこと、楽しみにしております。


問いの片歌5  ニホニウム113をはじまりとして  今野寿美 先生

高度な技術によって113番元素の合成に成功し、その手法の確実性から命名権を得た日本の理化学研究所の報道には、化学の分野など全く苦手なわたしでも耳を傾けてしまう明るさに満ちていました。研究グループの森田浩介博士は、「ニホニウム113」に正式決定するまで毎朝113円のお賽銭を用意して近所の神社にお参りしたとか。化学の世界には無縁のはずのそんな微笑ましい話題やニホニウムという命名の楽しさは、やはり印象深いものです。
 そこで思いついた問いの片歌でしたが、新顔の元素の名前が飛び出すなんて想定外だったのかもしれません。何それ? といった答えも一句や二句ではなく、それまた苦笑してしまう現象でしたが、どちらかというと玄人的で、なかなかに読ませる応募作品が揃っていたように思います。実際、推したい句は多く、教育長賞に輝いた古賀由美子さんの「神様はあちらこちらでかくれんぼする」はもちろん、山崎愛二郎さんの「蜻蛉のもののあはれを理科系も知る」なんて、文系らしく情緒で理系を巻き込もうという見事な発想ですし、「蜻蛉」を引き合いに出す知的文系の手際にうなりました。
 杉村有紀さんの「震災の311に思いがいたる」も日本の現況をやさしく包み込んで共感を呼ぶものでした。問いの「113」にひねりを加えて返したように聞こえる「311」に重みがあります。

 
第十九回酒折連歌賞 選評


一般部門 大賞・文部科学大臣賞  宇多喜代子 先生 (選評)
問いの片歌二 森へ入る儀式のように小声でうたう
答えの片歌  動物にお邪魔しますと二礼二拍手  渕上友美奈 三重県

森には熊のようなおおきな生き物から、落葉の下の小虫まで、多くの動物がいます。そこに人間が立ち入る際の礼儀として、私どもが神社での拝礼とおなじ作法の「二礼二拍手」をしました。ほんとうにこのようなことをすれば「なにやってるんだ」と笑われそうですが、森閑とした森を敬う気持ちのあらわれとして、いい答えになっていると感心しました。熊や小虫がどうぞお入りくださいと言ってくれそうです。


一般部門 山梨県知事賞  井上康明 先生 (選評)
問いの片歌一 百年を考えている夏目漱石
答えの片歌   罪悪と言われし戀をまだ知らぬ我  内藤詩乃 山梨県

昨年は、夏目漱石没後百年。漱石は、明治という新しい時代の文明開化とそこに生きる人の心のさまざまな葛藤について考えました。そんな漱石が百年後の日本の行く末を考えていると問いの片歌は語りかけます。
 漱石の小説「こころ」では、語り手の青年に向かって「先生」が「恋は罪悪ですよ」「そうして神聖なものですよ」と語ります。漱石は、恋にとらわれた「先生」が「K」という友人を欺き、その罪を背負って生きる姿を描きました。
 内藤詩乃さんの答えの片歌は、漱石の小説の人物たちが悩み苦しみ、「罪悪」とまで言った「戀」を「私はまだ知らないのです」と、どんなに時代が変転しても、恋のとば口で足踏みし戸惑う少女である自身を語ります。ういういしい自己を肯定する自恃が若さを語っています。


一般部門 山梨県教育委員会教育長賞  今野寿美 先生 (選評)
問いの片歌五 ニホニウム113をはじまりとして
答えの片歌   神様はあちらこちらでかくれんぼする  古賀由美子 佐賀県

科学の要素に裏を返すごとく非科学的反応をする。確信的手法のひとつですが、茶化しが効いてユーモアも伝わりやすく、短く述べて完結する短詩型文芸には大いに有効だと思います。古賀さんが神様を登場させ、幼子さながらに遊ばせているのも、その意味で引き立っていました。科学の世界はなお神秘に包まれていることがあるはず、という真理をも匂わせて説得力があります。今でも解明されていないことが大半なのかもしれませんね。


一般部門 甲府市長賞  もりまりこ 先生 (選評)
問いの片歌四 十字路で迷子になったちいさな羊
答えの片歌  迷うほど歩いてみたい自分の足で  塔筋一春 大阪府

今まで歩いてきた道を振り返って立ち止まりたくなる時、ふとよぎるかすかな心のゆらぎ。そんな片歌に対して塔筋さんは「迷うほど歩いてみたい自分の足で」と切実に詠われました。齢を重ねて、ふと来し方を思う。そんな日々の祈りにも似た思いが、「迷うほど」という言葉に託されました。それを受けて「自分の足で」と潔さも伴いながらむすばれてゆく。この短い片歌の中に思いの変遷が綴られて、読む人の心にまで沁みとおってゆく作品です。願いがやがて明日への希望につながるような、たしかな足取りさえ浮かんでくる、とても力強い作品でした。


アルテア部門  総評    もりまりこ 先生 

ちいさな方から小中高生までのみなさんが、いまの思いをことばに託しながら競っていただくアルテア部門.今回もすてきな作品にたくさん出会えました。
 五句の片歌がそれぞれ個性的で、あらゆる方向をみつめているそんな問いかけに果敢に挑戦してくださったことをうれしく思います。
 大賞受賞の山本ひかりさんは「十字路で迷子になったちいさな羊」に対して「葉桜の木漏れ日揺れてみんなも揺れた」と答えています。
 なにかのはじまりを思う時、希望と同時にかすかな不安も入り混じっている。そんな新しい道と真摯に対峙した思いが「木漏れ日」という言葉に繊細に表現されています。結句で「みんなも揺れた」と畳みかけながら、みんな同じ思いでいることをリズムよく表現されていて魅力的です。そのほかに「ニホニウム113をはじまりとして」の片歌に「かのうせいうんじゃないんだしんじる力」と答えた十才の内藤颯咲さん。見上げるように大きくて高い扉の前でいともたやすく開いてみせたようなことばの連なりが、とても印象深かったです。すべてひらがななのに「力」だけは漢字で表されているところ。問いの片歌に対する賛辞を捧げながら、じぶんを励ましている勇気などもかいまみえてきます。あらためて「しんじる力」の大切さを教えられたような気がします。ちいさなかけらかもしれないそんなことばの種が、すくすくと育って十九文字の片歌に花開くことを、楽しんでいただけたら、とても幸せです。来年もどうぞ、いまの気持ちがぎゅっとつまった作品をお寄せください。


アルテア部門 大賞・文部科学大臣賞  辻村深月 先生 (選評)
問いの片歌四 十字路で迷子になったちいさな羊
答えの片歌  葉桜の木漏れ日揺れてみんなも揺れた 山本ひかり 静岡県

「迷子の羊」の行末を見守るような気持ちで臨んだ選考で、大賞の「葉桜の木漏れ日揺れてみんなも揺れた」は、迷路の向こうに急に季節の風が吹き抜けたような鮮やかさがありました。
 葉桜の季節、桜の枝と一緒に揺れる光の透明な輝きに、「みんな」の言葉がさらに呼応します。たったひとり、心細い気持ちでいるのだろうと思った羊の姿に重なる「みんな」にいろんな可能性が広がり、その後に続く「揺れ」にさえ、私には未来が感じられるようでした。迷路の迷いを吹き飛ばす力に満ちた、力強く、美しい歌です。



 
     
 

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