第二十三回酒折連歌賞 一般部門総評


問いの片歌一  いつからかひとりでいつも考えること 井上康明 先生

世界的な疫病の蔓延がつづき、私たちの暮らしは、大きな変化をきたしています。こんな時、酒折連歌賞は、毎日の喜怒哀楽を、あるときは嘆きとともに、またある時は、つぶやきとしてその心を託す器として機能しているように思います。応答のあたたかさが問いと答えのハーモニーとして響きます。
大賞の「円卓はアクリル板で六等分に」には、現在の人々の感染防止対策ととともに暮らすリアルが明るく描かれています。円卓を六等分という図形を想像させる描写に知的なウイットがあるでしょう。
県教育長賞の「三者とも鬼が島までお供をいたせ」とは、桃太郎のことば。信長、秀吉、家康が互いに争っているという問いの場面から、思いがけない飛躍をもたらしたユーモラスにして活力ある桃太郎。架空の童話の一場面を描いているかのようです。
アルテア賞の薬袋さんの「砂時計こぼれるようにシャッターを切る」は問いの「オリオン座あなたと話すゆめのことなど」に対して同じようにロマンチックな雰囲気に満ちています。オリオン星座からつづく永遠とも思われる恋心を繊細に映像に残そうとする瞬間を思わせます。永遠の時間に、瞬間の映像を対比して、そのはかなさが魅力です。

 


問いの片歌二  オリオン座あなたと話すゆめのことなど  もりまりこ 先生

ふと、夜空を見上げたのはいつ頃だったろうという問いかけが自分の中に生まれていました。今はオンラインの中の動画の中でも、簡単に星空をみることができる世の中ですが。この歌にこめた想いは夜空の下で思い切り新鮮な空気を吸えたら。そんな自由を感じたいという思いに夢を託すように作りました。
冬の大三角と呼ばれるオリオン座ですが、山梨の塩山では鼓星と呼ばれていたことを知りました。齊藤結衣さんの「水彩画閉じ込めたのはあのときのゆめ」などは、オリオン座を仰ぎ見ていた時間が水彩画の中の淡い色彩に紛れていくようなとても視覚に訴える片歌です。   
小俣泰毅さんの「リゲルより高く眩しく僕には遠い」は、オリオン座の中で一番明るいリゲルよりも、手に届かない憧れを描いているのでしょう。オリオンともゆめとも呼応する巧みな作品です。星を仰ぐという眼差しのゆくえは、詠むひとの数だけあるのだと感じます。  
閉塞した時間の中で少しでも、空に思いをはせながら言葉と親しんでもらえたならとてもうれしく思います。たった十九文字の世界ですが、十九文字にしか表しえないそんな羽ばたくような片歌に今年も出会えることをとても楽しみにしています。

 


問いの片歌三  おむすびは三角形に俵の形  宇多喜代子 先生

酒折連歌という四文字をはじめて目にした方からどういうものかと質問がありました。私なりに説明をして、昨年の問いと答えを見せましたところ、とにかくバラエティーに富んだ答えの片歌の面白さに驚いていました。当意即妙の掛け合いショーみたいに面白いというのです。そんな感想を聞いたあと、あらためて今年の片歌を見て、まさにそうだと思ったことです。
「おむすび」という言葉にはまずそれぞれの好みの形を思い出させ、さらにその中に包まれた具を思い出させる、そんな楽しみがありました。「明太子、昆布、ツナマヨ、梅、鮭、イクラ」とその名を並べただけで5・7・7にしてしまう、この思いつきも愉快でしたし、「三角」という言葉に着目して「おむすびを食べて悲しむ三角関係」という、さして深刻でもない三角関係にもクスリと笑ってしまいました。
「聡太かな翔平もいい孫の命名」これも今年を沸かせて二人の功績を思い出させる作品でした。たぶん去年でもなく来年でもない、今年ならではの答えの片歌で、大賞の「円卓の」と同じく2021年の作品だったといえます。

「答」のむつかしさは、「問」に対してズバリの答えではなく「つかず離れず」の境地の答えでなくてはならないところでしょう。どなたの作もそこのところが絶妙で、とても楽しく選をさせていただきました。

 


問いの片歌四  信長かでも秀吉がいや家康だ  三枝エ之 先生

短歌、俳句、詩、小説など、さまざまな文芸ジャンルがありますが、酒折連歌には他にない特徴があります。
それは問えば必ず答が返ってくる、反応がある、という点です。私は歌人ですから、一年におよそ百首ほどの短歌を作ります。そのときに読者の反応は期待していません。いや、何時か何処かの誰かがきっと反応してくれるはず、と遠い期待は抱きますが、それはあてのない旅のようなものです。詩でも小説でも同じです。
ところが酒折連歌は五七七で問いかければ、なんと一万以上の反応が返ってくる。こんな文芸は他にはありません。2021年は新型コロナ感染の広がりで、人との交わりを可能な限り遠ざけて巣籠もりを強いられ、その状態は年を越えて感染力の強いオミクロンの広がりという新たな局面に苦しんでいます。もともと孤独な営為の文芸がますます孤独に押しやられそうなこの時代だからこそ、問答詩型としての酒折連歌は大切です。今回選考しながら、そのことを特に強く感じました。
さて私の今回の問いの片歌は「信長かでも秀吉がいや家康だ」でした。
誰もが知っている戦国時代の三人の英雄の中で誰を選ぶか。ゲーム感覚の問いでしたが、答えは予想以上に多彩、将棋の藤井聡太さんも登場しました。注目した一つが「お客さんご注文はお決まりですか」。ファミレスでメニューを見ながらあれこれ迷っている場面ですが、それを三人の誰がベストか、延々議論している場面に重ねているわけです。見事で楽しいプランです。
今回も予想外の答えが多く、みなさんの豊かな遊び心に脱帽しました。
酒折連歌は言葉のゲームであり、人生の襞を映しだす鏡でもあります。来年も楽しみながら思い切った冒険プランでチャレンジしてください。

 


問いの片歌五  もうこれでひらきなってみるほかないね 今野寿美 先生

切羽詰まってもしぶとくいこう、という片歌ですが、コロナ禍への反応ばかりでなく広範囲の世相や心情が引き出されていて、その多様さが大いに心づよい結果となりました。
拙い字見方を変えて個性的な字

                                                                                   青森明の里高等学校 渋谷 咲良 
見方言い方をちょっと変えることで確かに現実は違う印象となりますね。人のイメージを左右するくせ字にずばり言ってのけた才覚、発想そのものの機転、柔軟性に大いに感心しました。見事なまとまりです。
紙面では止まっているのに動く点P
                                                  都城市立志和池中学校三年 平原梨帆
問題を解くのに難渋していて飛び出したかたちのこの〈答え〉。飛び抜けて冴えています。数学的思考においても仮定の要素といえば案外文学的回路と思いたくなりました。
疾さでは亀の努力に勝てないことを
                                                  山梨県立甲府南高等学校 小澤菜々美
真摯に現実と向き合って、さばけた対応の力もあって、いじらしいとさえ思えます。
C判定これでもEから上がってきたのよ
                                                  山梨学院高等学校 蓑毛 理子
成績がらみの句が多い中でも見事な開き直り。この意地があれば人生なんとかなりそう。
「ある」も「ない」嘘も平気で「差し控えたい」                     

                                                                                                               渡邊富士夫
暴かれそうになると逃げの一手で取り繕う政治手法。頻繁に飛び出す決まり文句を並べるだけで立派な抗議になり得ています。

 



 

第二十三回酒折連歌賞 選評


一般部門 大賞・文部科学大臣賞    宇多喜代子 先生 (選評)
問いの片歌三 おむすびは三角形に俵の形
答えの片歌  円卓はアクリル板で六等分に  藤井麻里 神奈川県

問いの片歌3への皆様からの答えの片歌には、おむすびの形は三角ばかりではないよというものが多く、たしかにそうだと思いました。中には、俵の形の「俵」って何ですか、というものもありました。どんな形のおむすびにしろ、幾人かで食べるときにはアクリル板を用いて、しかも黙食というのが当節の食事事情です。やがてコロナ禍が去り、もとの日常に戻った時、この答えの片歌は「こんなことあったよね」という歴史の証人の役を担ってくれるでしょう。コロナ禍の最中でなければ出来ない片歌でした。

 


一般部門 山梨県知事賞        井上康明 先生  (選評)
問いの片歌一 いつからかひとりでいつも考えること
答えの片歌  風さそふまではできてる辞世の歌は  斉藤隆 青森県

問いの片歌はひとりで考えることは何だろうと尋ね、答えは自らの最期について考えていると語ります。「風さそふ」といって思い出すのは、忠臣蔵の浅野内匠頭が辞世の歌として詠んだとされる「風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせむ」。春の名残をどうしようかと、切腹する内匠頭のこの世に残した無念を思わせます。答えの片歌は、辞世の歌は「風さそふ」までは出来てはいるもののまだこの世に思い残すことがあることよと、語っているかのようです。或いは、辞世の歌は「風さそふ」までできているのだから、いつ最期を迎えても良いと語っているともとれます。「風さそふ」という文語と「できてる」という口語の俗な現実感との混ざり合いに人臭い味わいがあります。
自らの死を辞世のうたの一節とともに雅を思わせながら詠って、孤独なもの思いを長い時間のなかの今に連続させる答えの片歌です。

 


一般部門 山梨県教育委員会教育長賞  三枝エ之 先生 (選評)
問いの片歌四 信長かでも秀吉がいや家康だ
答えの片歌  三者とも鬼が島までお供をいたせ  小橋辰矢 岡山県

問いの片歌を投げかける作者はさまざまな答を想定します。まず浮かぶのは信長、秀吉、家康、三人のうちの誰かを選ぶ答えの片歌。次に浮かぶのは自分が好きな三人以外の誰か。山梨県でいえばご当地の英雄武田信玄が多いのではと想像しました。しかしこの答はそうした想定を超えたプランでした。あの戦国時代の英雄も桃太郎にかかれば犬や猿やキジと同じ。しかも命令形の「お供をいたせ」に威厳があって、さすがの三人も従わざるを得ない。見事な物語に仕立てたセンスに脱帽です。

 


一般部門 甲府市長賞         今野寿美 先生 (選評)
問いの片歌五 もうここでひらきなおってみるほかないね
答えの片歌  負けましたそれがどうした負けるが勝ちだ  浅田悠斗 兵庫県

囲碁将棋の対局で、勝負がたちゆかないと悟ると、みずから「負けました」と告げて終わりますね。投了ということばもおもしろいですが、その端然と静かな雰囲気はいかにも頭脳勝負の風格です。ところがそこに突っ込みを入れて「それがどうした」。さらにたたみかけて「負けるが勝ちだ」。この語りの勢いが強気の姿勢そのままで、答えの片歌を引き立てています。争うよりもあえて…などと諭すときにもちだされることわざは教訓めいて鼻についても、この機転は棋士顔負けでしょう。それが中学一年生のものと知って感嘆するばかりでした。

 


アルテア部門  総評    もりまりこ 先生 

問があってそこに答えがある。そんな唱和する文芸、酒折連歌は人と人が出逢いにくい現代において、とても稀有な文芸様式のような気がします。コロナ禍の中でひとりひとりの人たちが自分や誰かの「心」に思いを馳せていることも多くなったように感じます。片歌問答という問いかけの答えからは、静かであるのにその作品群からは心の声が聞こえてくる気がしていました。今年も様々な視点をもった作品に出会えました。アルテア部門の大賞作品、
薬袋真紘さんの「砂時計こぼれぬようにシャッターを切る」は、砂時計の時間をとめるかのようにして、オリオン座を見ている二人の今を閉じ込めていたい切ない想いが描かれています。そして、荻野沙紀さんは「信長かでも秀吉かいや家康だ」に対して「この誰が未知のウイルス倒せるのかな」と詠まれました。このご時世の難問解決を三英傑に託している所がユニークです。閉塞状況をユーモアにからめているところがとても鮮やかです。また「いつからかひとりでいつも考えること」の問いかけに「あなたにも教えられない心のラジオ」と答えた青野翔磨さん。一人で考えているのは心の中に蠢く想いや言葉の欠片の数々。それを「心のラジオ」と名付けたところ、とても新しい感覚に出会えた気持ちになりました。ひとりの中の思いはどんな人でも騒がしいぐらいのカタチにならない想いが去来しているのかもしれないですね。想像の翼をひろげて十九文字と戯れたり格闘して頂けたこと心よりうれしく思います。

 


アルテア部門 大賞・文部科学大臣賞  もりまりこ 先生 (選評)
  
問いの片歌一 オリオン座あなたと話すゆめのことなど
答えの片歌  砂時計こぼれぬようにシャッターを切る  薬袋真紘 山梨県

オリオン座を見上げる空の下。仰いでいるはずの視線がたちまち俯瞰するように上昇する映像を思い浮かべました。砂時計の砂がこぼれてゆくささやかな時間までをも止めてしまいたいような切羽詰まった想いが、込められています。
ゆめのことは語られていないのに、こぼれぬようにという七文字に夢の輪郭を感じます。
アルテア賞にふさわしい、今しかない時間を真空パックするかのような瞬間の声が聞こえてくるようです。今年もみなさまの作品と出会えることを楽しみにしています。

 



 
     
 

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