その八一


 

 






 






 





























  ひそやかに デイゴが匂う あなたがひかる 

元日、晴れ。 2階から黄色い絵本を持って降りてくる。
この本を楽しむ術は彼らの方が
ぜったい心得ていると思って
いそいそと階段を降りる。

その絵本を胸に抱えているのを
見つけただけで彼らは
あ、オレのしらないやつ
何で持ってンの?と
どんどんどんどん目が澄んでくる。

イニシャルやねずみやろばや松ぼっくりや
細長い糸や鳥の巣、鍵やバケツや
もうとにかくありとあらゆるものを
そのビジュアルの中からみつけださなければ
いけない、そんなゲームみたいな絵本。

いちおう彼らよりはずいぶん年上のわたしも
仲間に入れてもらって参加する。

あたまをみっつくっつけあって
矢印を探す。

三角と矢印はちがうんだよこうなって
ああなってこういうやつが矢印だよって
説明しているうちに
四歳の甥は、灯台を探し当てていた。

ちっちゃな灯台。
何で知ってンの?と
わたしがことばをのんでいると
お兄ちゃんの八歳がこれまたちいさな
青い矢印をみつけだす。

そうやってカーテンのそばの陽射しを
浴びながらかわいい♂ふたりとわたしは
探し物に夢中になっていた。

彼らは、ひとつひとつ丁寧に探す。
飽きることなく。
もう必死に遊んでいるのだ。
必死な人はそれがオトナであれ子供であれ
体温がどんどんと熱くなってくるものなんだと
ちょいと油断して、さがしものから
よそ見をしていた時。

四歳が、「ねぇ、すいてきぜんぶみつかった?」
と、わたしのあたまをちょっと撫でるように
さすりながら聞いてきた。

10個ある水滴をぜんぶみつけなきゃ、と
四歳はわたしに使命感を持って訊ねてきたのだ。

それよりもなによりも
わたしはふいをつかれていた。

ちっちゃな彼の手のひらの体温がわたしの頭をくしゃくしゃに
しながら伝わってくる何か。

じわじわとした熱のなかに
いますっぽりと包まれている。

ヒントを出したりしながらさいごまで
水滴10個を彼らと数え終えた時も
わたしのあたまにはなんかはじめての
しあわせな感覚の実体だけが残っていた。

探したいものがちゃんとどこかにあって
わたしに見つけさせてくれることの気持よさ。
ことしのはじまりがこんなにもささやかで
温和であったいちにちに、
こころより感謝しています。

そして本をまんなかに熱をわけてくれた
ちいさな♂ふたりの彼らにも・・・。

今年もきっとふつつかなわたくしですが
2004年の「もりまりこのうたたね日記」を
どうぞよろしくお願い致します。
       
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