その九四

 

 

 





 






 




















 

蔓と蔓 ことばみたいに 出会ってしまう

7月の夏休みはいつも好きだった。
もうえいえんに夏だったらうれしいのにと
あさがお日記なんかをつけながら
いつも思っていた。

ずいぶん遠くまで来たのかそうじゃないのかも
よくわからないのだけれど、
きっと螺旋のように時が過ぎていったのかも
しれない。

あのころからすると。
と思いつつ、11年以上も前に刊行された
対談集を読んでいた。

俳句のことについて語られているのだけれど
そこに「あっちの世界とこっちの世界をつなぐのは
やっぱり卵なんですね」、ということばが綴られていた。

その発言をしている作家はもう死んでいなくなって
しまったひとだけに、そのことばぜんぶが
彼のすんでいるであろうあっちから聞こえてくる感じが
してきて、 きゅうにしーんとした気持になった。

そのときはっとしたのだが、
ここのところわたしは卵のことが気になって
仕方なかったのだ。
いつか見た映画のシーンがあたまのなかに
いすわってしまって離れないせいかもしれない。

女の人(キム・ベイシンガー)がベッドに
横たわっている。
彼女の真上の天井には、細い糸で釣り下げられた
なにかで作られたまっしろい卵が縦に
静止したようにぶらさがっている。

そして傍らにいるだんなさんが、それを
見上げながらひとことだけ云う。
「あのしろいたまごのなかには手紙がつまっている
でも、あれをわらなきゃそれは読めないんだよ」・・・と。

子供が生まれるというまっすぐな比喩だったのかもしれないし、
もっと宗教的なことだったのかもしれない。
でもたったそれだけのシーンが
わたしのなかでは映画が終わってしまっても
その寝台の上の卵だけがいる感じがしてたまらない。

気になるものってふいにわいてくる。
きっとそれを感じるためにはたくさんの伏線が
日常のあちこちに張られていたのかもしれない。

みえない場所から蜘蛛の糸のように
あやういぐらいの細いものの先に偶然のように
くっついているたまごが、
いつからかずっとわたしの目のまえにある。

       
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