その九五

 

 

 






 






 





















 

ひらりひら 音叉みたいに ふるえる声で

人になれるのに時間がかかり
場所になれるのにもその場所を
離れてからようやくあぁいい所だったと
思うようなところは、小さい頃からの
習性のようなものであると、認識していた
つもりだったのに
それにくわえて最近きづいたのは、

行事というか
お祭りのようなものにもずいぶんと
わたしはよわいらしい。

よわすぎてもうそれに対して
ほんとうはつよいのかもしれないと
錯覚してしまいそうなよわさなのだ。

この季節、そわそわしてどうしようもなくなる。
とくに夕方、台所で夕食の支度などを
のらりのらりとしているときなど
ふいに、わたしのからだの奥のほうに
ずどんと響く音がある。

雷?いや、あ、花火だ。

去年もまたその前の年も、夜空をみあげたはずなのに
うっかり忘れていて、あ、今日だったんだと
思いだすしまつ。

そして一目散ベランダへと駆け上がり
濡れた手のまま、空を仰いでみたりする。

お隣の屋根と屋根の間から、ひょんなかんじで
見えかくれしている花火をしばらく楽しむと
すべて見尽くさなくても
いくつかを見たら安心してしまう。

あぁあの街であがる青や赤や星や滝を描く
火のしずくと
今年も出会えてよかったと、
それだけで、夏を迎えきったような
そんな気持でいっぱいになる。

あの人はげんきかな、あぁあんなに
げんきなんだ、それはそれは。

もうそういうのに半ば近いのかも知れない。

好きなのに忘れたままでいて
とつぜんであって
いきなりびっくりさせられて
また好きになる。

とりわけ好きなものに対しての学習能力が
皆無なんだなぁとあきらめながら
からだを重くしみわたる音が過るせつな。
遠くではじける火に包まれた一瞬の夜空の花を
ただぼっ〜とみていただけなのに。

ふいに
すきだけどきらい
きらいだけどだいすき、
そんなおまじないみたいな感情が
うずまいてきたと思ったら
たちまちうちあげられて
ちょっとばかし
どうしようもなくなる8月の夜でした。

       
TOP