その一〇一

 

 

 






 


























 

いつの日か なくしてしまう 欠片をもって 

色とかデザインは忘れてしまったけど
そこにいる人たちの中では
とびぬけてVネックのセーターが似合っていた
男の人が一本のマイクの前で歌っていた。

パティオのような舞台のその人のうしろは
沖縄かどこかのまっさおすぎてこわいぐらいの海。

フォークソングを歌っている彼の声を
はじめて聞いた。
歌を聞く前に文章は読んでいて、
ことばがじかに響いてくるのですぐに好きに
なってしまった。

すなおなひとなんだなぁと勝手に活字を読む度に
思っていたので、
ブラウン管のむこうでその人の歌う声を聞いていたら、
もっともっと皮膚のすみずみまで
伝わってくるみたいで、どきどきした。

テレビはほんとでうそでうそでほんとだから
そういうのには慣れているつもりでいた。
それぞれに演じている人が楽しませたり
悲しませたりすることに一所懸命になる場所だから
それにだまされたがる人としてつきあえばいいんだと。

でも、そのフォークシンガーの人の声は
ちがっていたのだ。

おそろしくきれいな瞳でおよそその端正な顔には
につかわしくない声でじぶんの詩を歌う。

ごつごつしててざらざらしてて
もうなんていうのか、そんなに1文字1文字まで
いつわりなく声にしないでほしいというぐらい
すなおすぎる感じで声が届いてくる。

テレビで歌を聞いていることも忘れてしまうぐらい
いまのこの感情をどうしていいかわからなくなってしまう
歌声にブラウン管のこっちがわで出会ったのは
はじめてのことだったから
彼のたたずまいが今も印象に残っている。

その人がほんとうに直球の人かどうかは
知らないし、もしかしたらそういうことは
どっちでもいいことなのかもしれないけれど、
なにげなく聞いていてそう感じさせてくれることって、
ほんとうにあるんだなぁとじぶんにもびっくりしていた。

あのとき伝わった詩を奏でた声のせいでわたしは
皮膚をちょっとすりむいたみたいな感じになっていた。
思いだすだけで、ひりひりする、
そんな歌声はかけがえのないいちどっきりだと思うと、
もういちどだけよけいにかさぶたを
はがしてみたくなっていた。

       
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