その一〇九

 

 

 






 






 





















 

ねことやつ ずれてかさなる せなかのあたり

パイナップルをスライスした缶詰めを
夜中に開ける。
ぎこぎこいわせていた時、あ、もうすぐ
やつがやってくるなという錯覚に陥った。

あたまの芯がわけあってじんじんしていた
時だったのでそういうことを想ってしまった
のかもしれないのだけれど。

むかし、飼い猫が生きていた時
わたしや母が台所でなにかしらの缶詰めを
開けていると、すかさずやつはやってきて
収納扉を支えにするようにして猫足で背伸びして、
「ちょーだい」と甘えた声で啼いたのだ。

やつがぶくぶくに太ってしまった時
唯一の食事はヒルズのサイエンスダイエットの
カロリーがいちばん少ないものを食べていた。
食事の合図は、そのちっちゃな缶詰めを開ける音が
その役割を果たしていたからかもしれない。

もう普通の食事に変わってもその癖は
ぬけないらしく、缶詰め切りをやっていると
黒い毛をゆさゆささせてやってきたのだった。

いちどからだにしみついた習慣は抜けないもんだねと
微笑ましく眺めては缶詰めの中身をくんくんと
かがせてあげると、とてもそんなもんは
食べられないといった風情でわたしたちに
くるりと背中を向けてまたお気に入りの場所へと
やつは去ってゆくのだった。

そしてやつのいなくなった夜の台所でわたしは
食べたくなったパイナップルのスライスの缶詰めを
開けている途中だった。

へ〜きょうは、こんなにいつまでもぎこぎこやっても
やってこないんだぁ、2階で眠ってるのかなと思って
すこしばかりびっくりした。

とっくのむかしに黒猫はここから旅立っていったのに
わたしはそんな事実がすっかり抜け落ちてしまったかのように
缶切りの間じゅうやつを待っていたのだ。

さっきのさっきまでいたってニュートラルだった
じぶんの気持ちがそのことに気づいた時
はじめてぽっかりと空洞を感じた。

さびいしいっていうよりなんとなくはずかしかった。

やっぱいちどからだにしみついた習慣は抜けないもんだねと
わたしはどこか上の方から俯瞰されて
やつに笑われているような気がしてならなかった。

       
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