その一三六

 

 





 







 







 

蜃気楼 だれかがぶれて いるのにいない

閉じられたノートが写真か何かに
写っていたりすると、あの中には
どんなことばが隠されているんだろうと思う。

フランスかどこかの頭をアップにした
カフェの女主人がテーブルの上においてある
何もかかれていない便せんを前に
憂いのある瞳をしている絵なんかも、
その女主人よりもあの便せんの二つ折りにしている
中が何か知りたくなってしまう。

学校の頃のノートはどっちかというと
苦手であまり興味の対象では無かったけれど
最近は手書きで何かを書くということじたいが
あらためておもしろい!と思っていたので
近頃気になるのはノートです。

人と逢っていて今すごく楽しい時間だと思っても
いちいち今の若い女の子たちみたいに携帯で撮ったり
しないから、いまここに取り出すことはできないし
証も無いけれど、その代りに記憶の中にしまわれて
その時のまわりを包んでいた空気のようなものが
じぶんの中に残っていくんだと思う。

もう十年以上前に弟にもらったKATHARINE HAMNETT
の黒いノートがあって、もったいないかな? と思って
ずっと使わずにいたのだ。

それをこの間ふととりだして今読んでいる本のことなどを
つらつらと綴りはじめた。
茶色い罫線の升目がついているからなんだか
作文をしている気持ちになってくる。

この間とっても楽しかった1日を過ごした日に
そのノートも鞄の中に入れていた。

たまたまある方に大切なお話を聞く機会があって
その人が私のノートに御自分でポイントをまとめて
綴って下さった。

夜帰ってからもういちどそのノートを開いてみる。
はじまりのページは私の字でマンガのネームが抜き書き
してあり、第一ページ目なのでなんとなくよそよそしい。
次のページからは好きな小説の読後感がつらつらと弱気な
筆圧で何ページも綴ってあり
その次のページにはちがう力強い筆跡。

ふわっとその時の情景が字のむこうに浮かんでくる
みたいな体験だった。
一冊のノートの中にわたしとわたしが大切に思っている
人の字がまざりあっているただそれだけのことなのに
あのノートを開く度になんとなくせつなくなってくる。

楽しかった瞬間を写真に残すよりももしかしたら
わたしにとってはそんな誰かの文字の跡のほうが
とある1日をより鮮やかに浮かび上がらせてくれる
ものかもしれないなと思った。

そしてまたなんともない日常を過ごした
わたしの拙い字がその升目を埋めてゆくのだ。
1ページずつ1ページずつちくたくと。

       
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