その一四五

 

 





 







 




 

鳥が飛ぶ はぐれた1羽 空はセピアに

モノクロームとセピアがふしぎに
まざった映画を観ていた。

もうなんどみたんだろう。
母が好きで、彼女につきあうたびに
私にもいつのまにかそれが好きな映画の
ひとつになっている。

奥さんをなくした男の人はレーサーで男の子がひとりいる。
スタントマンだった夫を事故で失った女の人は
映画のスタッフの仕事をしていて女の子がひとりいる。

それぞれの子供達はいつもは寄宿舎に預けられていて。
週末の送り迎えの時にふたりは出会ってから
お互いに好意を持ちはじめるのだけれど。

そのストーリーではなくて、私はあの色彩の
コントラストにすこしはっとしたのだった。

いつだったかこの映画の裏話を読んだか観たかしたことが
あったのだけど、その時にモノクロとセピアが入り交じって
いるのは、映画の仕掛けではなくて、予算が途中で
足りなくなってしまったからだと聞いて
それはそれでリアルな内実で面白かった。

そのことを少し頭の隅に置きながらとつぜんブラウン管から
モノクロームの風景が映ってずっとこのままかなと思っていると、
色のトーンがセピアに明るくなったりするのを楽しんでいた。

すべてがすべてそう処理されていたのではないかもしれない
けれど、どこかのシーンで現在を描く時がどことなくモノクロームで
過去を描いている時にすこし色が現われている表現の妙に
ひとりかってに納得していた。

現在という時はこんなに目の中に色が飛び込んでくるのに
どこかしらモノクロームめいていて
過去はなぜか思い出しているときに目の前に色はないのに
記憶の中ではどこかしらに色がのっていたりする経験は
よくあったので、またちがう興味で見入ってしまった。

そのコントラストにも似て主人公ふたりのもどかしさや
せつなさがボサノバの曲とあいまって映像が今もちらちらと
浮かんでくる。

遂げたいけど遂げないとか、ひとりとひとりであるとか
過去が断ち切れないとか、おとなになって経験する冒険と
躊躇の葛藤が伝わってきて、こうタイピングしながらも
私の中の記憶にはいますこしだけ
どこかすきだった場所だけに色がついているみたいだった。

       
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