その一四七

 

 






 




 







 

はてしなく したたってゆく ははふたりなつ

ひとりでいるときはすきなものについて
考えたり思ったりしていることが
多いのだけれど。

母とふたりでいるときはなぜか彼女に
つられてきらいなことについて
喋ったりしていることが多くなる。

わたしとちがって口から生まれた人みたいな
ところがある母。
彼女の毒舌を子守唄がわりに育ってきたみたいな
ところがあって、いまとなっては慣れっこというか
いちいちそのことばに傷付かない術を覚えたというか。

そしてこの間とある人気者のデザイナーの
人たちがふたりテレビに登場していた。

あるひとりの人の作品はいいなと思うのもあったけど
でもお店にあってもたぶん足が立ち止まらないだろう
というものもいくつかあって。

母もなんとなくブラウン管を黙って観てる。

べつのもうひとりの人は世界的に有名なのだけれど
わたしはそのテレビに映っている時の風情といい
作品と云いどっちもきらいというかほんとうに苦手で、
ときおり不快感さえ伴ってしまうので
あまりみたくない人だったのだけれど
とつぜん登場してきたのでしかたなく観ていた。

あの人たちはふたりともお互いの作品を
リスペクトしていたことが意外だったのでそのことに
触れながら母と話した。

なんでふたりの作品はひかれあうのかなみたいな
ことをわたしが彼女になげかけると
母は間、髪いれずにぽつんと云った。

「だってふたりともくりかえしじゃない。
どれを観てもくりかえしのモチーフをデザインしてる
作品ばかりでしょ」と。

それで? というまなざしのまま母はその話題にはもう
飽きたみたいに読みかけの雑誌に目をやった。

わたしは母の口から<くりかえしのデザイン>ということばを
聞いた途端に、彼等が惹かれ合う理由も
彼等の作品を面白がれないじぶんにもふにおちたのだった。

そしてまた幾日か経った時。
クレーのモザイクを重ねたような絵を観ていて、なにげなく、
こんなに繰り返しなのに飽きないのはなんでだろうって
ひとりごとのように呟いたらまた母は云った。

「だって次の色が想像できないでしょ。観ている人がこんな色が
つづくだろうなって思っても次に続く色はちゃんと裏切る色が
配置されているからよ」

まったくもってそう思った。
クレーの絵をもういちど見ると確かに予想だにもしない色が
隣あっているのだった。
ときおりとまらない毒舌の彼女の口を封じたいときもあるのだが
今回の2点についてはわたしもいさぎよく完敗した。

なんていうのか疑問をはさむ余地もない解答を得たみたいで
きもちよくさえあった。
くりかえされることのここちよさをもとめつつも、
そこに予定調和を感じ取ると、倦んでしまうものなのかと
思いがけなくじぶんの好みの癖もつかめた。
そしてふいに夜のリビングで母と他愛のない話をしている時間の
幸せをかみしめたりしていた。

       
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