その一七〇

 

 






 





 











 

え?なに? なんでもないよ めくれるこころ

いつも乗り馴れているはずの電車に乗り間違えて
しまって、ひと駅あちらまでいってしまったわたしは
待ち合わせの駅に着くと、軽く走った。
歩いてる時よりも風を感じるせいか、電車を降りると
途端に潮の匂いがつんと鼻にくるそんな夕方。

おっとこまえのお姉さんに誘われてこの間の土曜日、
江ノ島の虎丸座というライブハウスにでかけた。
『セビージャ・デジャビュ』っていうタイトルに
ひかれて、未知の音に会いにゆく。

カンテとギターとタブラを演奏するトリオの方々で
構成されている、フラメンコの匂いのする声と音が
フロアの天井やガラス窓に反響して
あたりに広がっていた。

耳慣れている音楽とちがってはじめは彼等とわたしの
距離は少しよそよそしい風情だったのだけれど
しだいにその音のひとつひとつが皮膚に触れて
ひりひりするようにしみこんでゆくのがわかった。

う〜むずかしい。こうやってあのライブ感を言葉に
しよとするとしようとする端からなんかたいせつな
粒子めいたものが逃げてゆくみたいで、それでも
なにか手繰り寄せたくて仕方ないじぶんがいる。

カンテの歌声はどこか体全体の器官を楽器に形を変えた
みたいに泣いていて、ギターは誰かがささやいているように
歌っていて、インドの太鼓、タブラはそんなふたりの
想いに相槌をうつように、リズムを刻む。

プレーヤーの方が関西出身だったせいなのか
タブラの音を口で表現する口タブラを聞きながらなぜか
河内音頭のリズムのようだと感じていた。
太鼓を叩く音から伝わる魔術的な陶酔作用みたいなものが
こころの壁をつきぬけそうに跳ね返ってくる。

耳から始まって身体のすみずみまで音にまみれてるなって
感じた時、ギターのボディあたりに江ノ島の夕陽が
反射してオレンジ色に光っていた。

暮れてゆく時間を久々にあった友達とわかちあいながら
音を縫うように聞こえてくる波の音。
音も波もくり返しながらたちまち消えてゆくけれど
でもなにかがじぶんの中に降り積もっていっている感じがする。

今読みはじめている本の扉のページに
<記憶のなかでは何もかもが音楽に合わせて起こる気がする>
という言葉をなんとなく思い出していた。

あの時のライブの音に導かれるようにわたしのきもちのなかで
まだかたちになっていないなにかが、かすかに反応してふるえ
そうになっているそんな夜でした。

       
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