その一七一

 

 





 






 












 

秒針と わたしの脈が とけて波打つ

ふだん時計はしないのだけれど
がらくたのような指輪やブレスの入れてある
箱の中に、いくつかの時計もいっしょに
しまってあって、手首がさびしいかなって時に
なんとなく気に入ったものをつけるようにしている。

洋服屋さんで母とおそろいで買い求めたうれしくなるぐらい
カジュアルな価格のうすべったらの時計があって、
去年あたりはそればっかり腕にはめてた。
肌馴染みのよい薄さが気に入っていた。
ふしぎなことにその時計をしていると、会う人がみんな
ほんとうにおおげさでなくみなさんが、いい時計ですねって
ほめてくれるものだから、そこから話が弾んだりして
おかげでいろいろと楽しい時間を過ごせた。

グレーのマーブル模様のついた文字盤のそれはなんの
変哲も無いけれど、薄さと文字やフレームのデカさが
唯一のとりえだった。
およそ女の人のことをほめ無さそうな、大勢のなかで
ぽつんとお酒を呑んで人の話を聞いてるのが好きみたいな
風情の人までが、その時計をほめた時には、
ちょっとなんかモノの力みたいなものを
うっかり信じそうになった。

で、また久々それをしてみようと箱をあけてみると
時間が3時54分ぐらいのところで止まっていた。
秒針も57秒あたりで力つきてる。
いつの3時54分だったんだろう。夕方なのかそれとも
夜明け前なのかと思い、なんとなく朝の訪れの前
だったほうが、好ましいなと根拠なく思った。

ひとりかってに止まってる時間はあたりがしんと
静まってる時が似合いそうだなと。
重たい病気を抱えた動物を抱えるような感じで
時計屋さんに行って電池交換してもらおうと思ったら
やつは電池交換ぐらいじゃすまないことになっていた。
止まった時間のまままたバッグに入れて持ち帰った。

こうなってみるとちゃんといきいきと時間を刻んでる
時計よりもすべての勤めを終えてしずかに声もださずに
黙ってちくたくするのをやめてしまったこの時計が
ちょっと特別なものにみえてくるから不思議だ。

帰りのバスの中で、わたしの前に座ってる初老の
男の人がいた。
見るとはなしに見ていたらそのおじいさんは
黒い折り畳み傘を丁寧に畳みだした。
柄を掌で押して半分にして傘のナイロンの所を
きちんと一枚ずつ広げながら少しの弛みもないように
くるくると柄をまわしながら畳んでゆく。
職人さんのような指先で、畳み終えた傘は
新品のようにぴしっしゃきっとしていた。

なんとなくもしかしたらって思っておもむろに
鞄を開けてさっき戻ってきたぷちぷちに包まれた
あの時計を確かめてみた。
じっと目をこらしてみたけれどやっぱりそれは
ちくたくしていなかった。あんなに愛用して
ほめられてたくせにさいごのさいごはよそよそしくて
つれないなんて、まるでだれかみたいだと
まるくてでかいうすべったらのやつにちょっとだけ
やつあたりしたくなっていた。

       
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