その一七二

 

 







 







 











 

名前呼ぶ なまえなくして 声みえなくなる

なにげなく寄った文具展の横で
マッケンジー・ソープという人の絵画展をしていた。

そこにはこどもたちが描かれているのだけれど
とめどなくまあるくて、そのままどこかにふわり
ふらりと飛んでゆきそうなそんな印象の輪郭をもっていて
たちまちその場にひきつけられてしまった。

みていたらそこにいるのはこどもみたいにみえるけれど
おとなにもみえるしもしかしたら人以前のいきものにも
みえてくる。
うまくいえないけれど、たぶん彼等には名前がない感じが
漂っていた。
名前がないってことの自由さがどこかフレームを
け破ってゆくエネルギーみたいなものが伝わってきて、
その作家の描く世界がほんとうに
いっしゅんで好きになってしまった。

ちいさいとき彼は学習障害のひとつであるディスクレシア
という症状のためによくいじめられたことがあったという。
解説のおじさんの話を聞きながらそこに展示されていた絵を
じっと見ていると、つきぬけた開放感にあふれていた。
たぶん、計り知れない孤独をちいさなときにとことん
味わったことが彼をこんな唯一の明るい作風へと導いたのかも
しれないと思った。

孤独を味わい尽くした時に見えてくるものがあるならば
こんな世界なのかなって感じの、ほんとうにその道を
辿ったことがなければ到達しえない色と形がそこにあった。

彼の絵の中でいちばん印象に残っていた一枚。
どこか階段のいちばんてっぺんの高い所に足をぶらぶら
させながらおとこのかおんなのこかわからないシルエットの
こどもらしきひとが座ってるそんなモチーフで。
それを一目見た時から、ひとのかたちであるかもしれない
その輪郭がどことなく大きな種子のかたちにみえてきて
ふっと風を感じたみたいに気持ちが軽くなったのだ。

風のふくままに運ばれてゆく種子のようなこども。
じぶんがちいさかったときおそらくそんな感じに
過ごしたかったじぶんを発見して、ずっとむかしの
なりたいものにいきついたみたいで、ひと事のように
懐かしかった。

       
TOP