その一七六

 

 






 







 












 

ふたりだった ひとりっきりだった とけてゆく道

夜、あたりがしろくしずまったころ、ちり、って
いう音がする。出窓のちょっとでっぱった所に
雨があたってるんだなってわかる。

ときおりそんな音を耳が拾う時、ゆっくりふれふれって
贔屓めというのか軍配というか雨にざぶとんいちまいというか
なんだか応援したくなってきて、洗濯竿に雨のしずくが
滴っていたらもっとうれしいって気持ちになる。

でも今日はちょっと降ったら降ったであっちが困るだろうな
と、玄関の郵便受けのことが気にかかる。

もうゆらゆら寸前で、ねじがかろうじておさまっている
あなぼこはあまりの硬さでどうしようもないので、夕刻、
応急処置をした。
最近にしては怪力の部類に入ると思う力でよく使い方の
わからない道具をもちだしててのひらに力を入れてねじを
押し付けながらねじこませていたら暫く経ってから
てのひらになつかしい痛みが甦った。

もう気が遠くなるほど昔、学校の鉄棒の逆上がりのテストを
なんどやっても失敗してぜんぜんパスできなかったとき、
なんとはなしにてのひらを眺めた。ふとみると錆び錆びの粒が
茶色くなってついていてちょっと血に似た匂いがして、
運命線だとか生命線とかが集まってるところが
じーんとしびれたみたいに痛くなったことがあった。

その時とおんなじ痛さをいまも感じている。
あの時逆上がりの出来なかったわたしは、こうやるんだよと
体育の先生に逆上がりの特訓を受けた。
背中合わせになってふたりで鉄棒を握り、わたしの背中は
先生の背中の上に乗っているので、しぜんとおしりから足が
空を向いていて、先生の背中のナビゲートのおかげで
何がどうなったのか気がつくとひとまわりくるんと翻って
地面に着地していた。

翻る前と後では時間がゆめのように過ぎ去っていったように
思えたけれど、ひとりで逆上がりは結局できないままで
いつまでたっても先生の背中を借りて練習ばっかりを
重ねていた。
その時、先生が着ていた紺地に赤のラインの入った
ジャージとトレパンとあの広くてやたら温かい背中を
思いだしてしまい、この放り出された記憶をどうしようと
ちょっとだけ所在なげになってる。

黒い半円型のポストのゆらゆらがゆらになっていまはゆとらの
間ぐらいの感じの足腰にまで、落ち着いて修理が終わった。
家にあるものをすこしずつメンテナンスしているときなんとなく
ポストであり壁であり、同じ年月を共にしてきた時間を感じて
すこしだけ愛おしくなる。
むきだしでがんばっているものに対してできるかぎりのことは
してあげようという気持ちが満ちてくる。

こんな気持ちに思いがけずなってるほんとの理由は、ゆうべ夜中に
読んだ彫刻科で詩人の高村光太郎が独居自炊生活をしていた花巻の
高村山荘を旅した方の文章を目にしたからだった。

智恵子抄で描かれた妻智恵子さんを心の病で失ってからも
智恵子さんと向き合うように過酷な土地の山小屋で七年間
ひとりっきりで過ごした光太郎さん。
灯りは蝋燭を灯し、時間は、障子紙に墨で目盛を描いてちいさな石を
つるした日時計で知る。そんな暮らしの中ちっとも寂しくはなかった。
目をつむるといつもそばにいてくれる智恵子さんとふたりっきりで
暮らしていたからという光太郎さんの言葉を紹介しながら綴られていた。
お目にかかったこともないその人の声が聞こえてくるような
あたたかな文章だった。

<愛する心のはちきれた時、あなたは私に会ひに来る。
すべてを棄て、すべてをのり超え、すべてをふみにじり>
あなたは私に会いに来るという光太郎さんの『人に』という詩が
引用されていて。
さいごのあたりでその方は<愛とは自然と涙が流れることです>と、
忘れていたものすごくまっすぐな直球を放った。近頃涙腺がむきだしに
なってたわたしはうっかり油断していて、そのまっしろな塊をもろに
胸のあたりにじんとくらってしまった。

誰かといっしょでもいっしょじゃなくても涙がしらずしらずのうちに
ながれる、どうしてかわからないけれど、いまのはなに?っていう
あれはまったくもってそういうことだったのかと気づかされて、
夜泣きそうになっていた。

泣きそうになった夜、また、出窓のでっぱったところに
ちりって音がした。明日はぜったい雨がいい。いやぜったい
じゃなくてもいいけどできることならいやになるほどの雨で。
あのメンテナンス中のポストの曲線を描くてっぺんあたりから
雨がおかしいぐらいに滴ってたいたらうれしいって
なんとなく思っていた。

       
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