その一七七

 

 





 







 











 

夜明けだけ たしかめて眠る 蜜のなかのなにか

がらくたになりそうだったポストを直したあと
郵便受けの中にふわりとすてきなポストカードが
一葉そこに舞い降りていた。

まっしろでもなくてオフホワイトでもないけれど
すこしとろっとした白地をバックにして
おいしそうなおおきなスターキングデリシャスの
リンゴが宙に浮かんでる写真のカードだった。

久々誰かの肉筆である葉書をいただいて、
じんわりとうれしかった。。
なんだかさえない日ばかりだけれどたまにはこういう
なんていうのか、おもいがけない幸福感みたいな
感じに包まれる日がある。

会ったことはない方なのに、そこに綴られた
ひともじひともじの中に、あたたかくて親切な御心づかいが
にじんでいて、ふわっとその方のりんかくが
浮かび上がってくるみたいな気持ちになった。

ポストカードの中に浮かんでるリンゴは
ここに手にすることのできないリンゴなのに
いつか食べた時の甘酸っぱさの香るリンゴよりも
いまこの写真の中のリンゴのほうがほんものに
みえてきて、ふしぎなきもちになる。

いまのことよりきのうのいまごろのことのほうが
ほんとだって思ったり、生きてた時のおじいちゃんよりも
夢の中でおじいちゃんに再会した時、階段の踊り場で
抱きしめてくれたその時のほうが
りあるなおじいちゃんだと思ったりするのと
似ているのかもしれない。

記憶を辿るという作業、そんな中でしかわたしはほんとうを
認識できないのかもしれないななんて思う。

この間、最終日のダ・ヴィンチ展に上野まで行って
ひとつだけ気になった言葉があった。
<空気遠近法>。
遠くにあるものの輪郭がぶれるのは空気量が多いからという
説明がなされていて、わかったようなわからないような
気持ちになりながらも、その言葉が気になって仕方なかった。

遠くで/ぶれてるもの/
に対する愛情がきっとわたしは過多なのかも知れない。
空気に満ちながらぶれつづける遠い風景はいつまでも
遠くのままでいてほしいような。
その距離感に憧れているような。

一枚のあたたかいポストカードが
夜も眠らずに歌を詠みたくなってるこころに灯を
ともしてくれたみたいで、それだけでうれしくなってる
このごろでした。

       
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