その一七八

 

 






 






 








 

ひだりあし みぎよこどっち 未明にゆれて

背もたれのあるやさしい革の風合いが
伝わってきそうな誰も座っていない
ロッキングチェアが舞台の上で揺れている。

そのとなりでは小刻みに割れた筋肉をみせた
髪を黄色く染めた男の人が踊ってる。

彼はまぎれもなく踊ってるんだなって思った時、
ふと彼のとなりが気になってそちらに目をやると、
ゆっくりとしたリズムで椅子が揺れていた。

あそこに腰掛けていたらすこし眠くなりそうなそんな
リズムばかりを追っていたら、いつのまにかそれをじぶんの身体が
覚えてしまって、覚えてしまったものをわすれないように
そっと刻んだまま、さっきのとなりの踊る男の人に視線を移す。

その男の人はここちよいリズムでうねるように揺れていた。
あの椅子の揺れと彼のゆらぎがおなじ質のようにみえてくる
そんな躍りで、やっとわたしは彼と椅子は共演者どうしで
たがいのリズムをわけあうようになにかを演じていることに
気づいた。

人が踊ることになんの興味もなかったのだけれど彼の映像を
見ていて、からだで表現するひとって面白いなとはじめて思った。
なんだかそこにある空気ととけあってからだの輪郭がそこと
ひとつになってるような動きは、おなじにんげんだと思えないぐらい
ふしぎでどきどきした。

暗闇で色のついたレーザーが光の線をあちこちに放ちながら
描く軌跡をみているときみたいに、彼の動きを点でつなげていったら
どんな形が描かれるんだろうと思ってみたり。

きのう新聞で彼とはちがう舞踏家の方がインタビューに答えて
いらっしゃって。
元気が踊りのテーマだというその方は、元気ってひとりでなれるものじゃ
ないんですよとおっしゃっていた。
うれしいことに出会うととつぜんまいっていた身体が、はつらつとしてくる
ように、<自分の中の気と外の気がうまくめぐりあった時に元気になるし、
身体を開いていると元気の量が多くなるんです>、と。

で、なんだか思いだしたことがあった。
ちっちゃいとき祖父の裸足の甲のうえにわたしも靴下脱いで裸足で
そこに乗って右に左に音楽にあわせて揺れるって遊びを
してもらっていたことを。
じぶんの身体がちょっとだけ宙に浮いてるようで、からだから気持ちが
すっかりぬけて、ゆだねていることの気持ちよさっていうのをはじめて知って。
この感じはなんなんだろうとめざめてしまったわたしはいつも裸足の
ダンスの おねだりを祖父にしていた。
少し目をつむって身体を揺らしているとなんともいえない幸福感が
からだとそこらあたりの空気のすきまから漂ってきて、うれしく
なったりして。

あたたかくておおきくてちょっと乾いた足の甲があってあたりに音が
ちりばめられていて。血のしっかりとつながったふたりがゆれている、
これいじょうのしあわせはないかもしれないってぐらいの元気の源を
おじいちゃんはあの時くれていたのかもしれないって、
雷鳴のこっち側でしみしみと思ってる七月でした。

       
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