その一七九

 

 






 







 








 

めくれてる ゆびのガーゼが しゅんとそよいで

扉のない入り口がぽっかり開いていて
その眼の前の壁にいちまいの絵が掛かっていた。

吸い込まれるようにというたとえがたぶん
ふさわしいのだと思うのだけれどわたしの足は
歩いていることも忘れてしまいそうになるぐらい
そこへと引き寄せられていた。

首を傾げた女の子がまるい花束を抱えていて
ただじっと佇んでる版画だった。

はじめて会った女の子なのにはじめてじゃない
気がすっごくしてきて、なんかすっごいひさしぶり
なつかしいねとかって声を思わずかけたくなる
女の子や犬たち。

南桂子さんの銅版画展に訪れたのは2年前の秋だった
のについこの間のことのように思いだす。

鳥の身体に穿たれた細かな線のつらなり。
木々の幹や葉脈、女の子の着ているワンピースの
繊細なレース模様など、ひとつひとつの版画を見ていると
とてもデリケートな表現なのにみているものたちを
ざっくりと包んでくれるゆるやかな輪郭でそこにいる。

たとえば『落葉と少女』という作品ではしずかなトーンの
色の女の子と猫がそこにいるのに彼女たちの前にも後ろにも
つづいている道のいたるところに舞い降りている枯葉には
朱色があしらわれていたり。
さくらんぼの木というタイトルの作品は、かんじんの
さくらんぼはアボカドのあの皮みたいな色なのに
その木に集った鳥たちは赤く染まっていて、どこかに
はっとする朱や赤が置かれていて、みているだけで
ふいうちにどきっとさせられる。

何かの物語の途中のような彼女の作品は
その物語をすこしだけ休んで前にも後にもいかないで
わたしたちとそっと視線を合わせてくれる。
だから視線があったとたん、ぎゅっと胸のまんなかが
しくしくしだして所在なげになってしまう。

初めて会ったのになんだかなつかしさがとまらないと
こころとか名付けられないからだのどこかがそう感じてしまう
人と出会ってしまったときみたいなそんな印象。

〈ボヌール〉という彼女の作品集を雨のふりつづく休日に
ぱらぱらとめくっている。
もういなくなった少女や猫や犬や花たちかもしれないのに
いまだけはそこにいてくれてるんだなと想いながら
眺めていると、このタイトルにこめられた幸福の瞬間が
ページをめくるたびにたちあらわれてくるようだった。
ひゅーひゅーいう風の音も聞こえてきそうな雨をモチーフに
した作品のすぐ後ろのページでは太陽の下で草と鳥が共に
ただそこにあたりまえのように居て。

なんとなくだけれど想ったことがひとつだけ。
こんなふうにめくったりうらがえったりするときに思いがけず
であえるのがまだよくわたしもわかっていないあの幸福って
いうものの気配なのかもしれないなぁと。

       
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