その一八〇

 

 







 



 







 

うそっぽい せつなせつなに ほんとのかけら

どこか異国の薄ぐらいちいさな靴下工場で働いている
人たちがいて、社長さんと従業員を入れて
たぶん7,8人のそんな会社が舞台の映画を観た。

映画の中のトーンもモノクロじゃないのになんだか
すべてどよんと曇ってておまけに主人公をはじめ彼に
関わる人たちの表情がなんだかとても薄ぐらい。

不健康で、不機嫌で、不馴れで、不景気で。

でも、明るさでぐいぐい引っ張られるよりも、ちょっと
切れかかってる電球みたいなかすかな世界になじみたい
気分だったのでいつのまにかその違和感に
引き寄せられていた。

映画の中の濃い印象を放つ主役の社長と秘書のような
従業員の女の人は、どこかから弟が訪ねてくるとかで
彼の滞在期間中だけを夫婦としてふるまわなければ
ならない事態に陥ってしまう。

なんだかすごくワンマンという風情でもないのだけれど
この社長が投げかける不自然な提案に躊躇することなく
秘書のようないちばんふるい従業員らしい彼女は
それをすんなり受け入れる。
なにもかもがつまらなさそうな表情で。
生まれてからずっと否定することばを知らずにここまで
来てしまったのではないかというそんな空気を放ちながら。

でもそんな彼女をつつむ日陰めいた印象のなかに
しずかな母性のようなものを感じてわたしはいいな
きらいじゃないなこの人って思う。

社長がひとり暮らししていたちらかし放題だった部屋を
すっかり夫婦ものの住まいらしく掃除したり
模様替えしたりしながら、彼等は弟を迎える。

彼を迎えるにあたって、写真ぐらいは飾っておこうか
ということでふたりは写真屋さんに出かけて
ふたりいっしょの写真を撮るためにファインダーの前に立つ。

なにげないこのシーンをみていたらふいに
なにかが反転するような気持ちに駆られた。

写真屋さんのカメラマンの撮りますよの合図の言葉はウイスキー。
映画のタイトルにもなってるその言葉が聞こえたせつなあの
トレーシングペーパーに包まれてたみたいな
ふたりの表情が一変する。

いままでみたこともない最高の笑みをふたりがしぜんにうかべて
もとからこうやって夫婦でしたって顔でその写真に収まるのだ。
そして撮影がおしまいになるとまた薄暗がりの表情へと
スイッチしてゆく。

その瞬間わたしはなんか気持ちよく騙されていて
うそとほんとが瞬時に入れ代わる時間に立ち会えたみたいで
この映画に出会えたことをうれしく思った。

そして彼等よりはどことなく裕福らしい弟がやってきて、
(彼は唯一晴れ間の表情をふつうに持っている男の人だったけれど)
社長は彼女をぼくの奥さんと紹介して、3人で食事したりする。
しばらく経って夫婦、弟の3人でいっしょに旅にも出かける。

つまり疑似だから疑似なんだけどそれを重ねている間に
なにかが芽生える。
ふたりの間というか3人の間にちいさな隙間から零れる光り
がちらちらとほの見える。

決して若くはない彼等の間になんとなく恋っぽい感情が流れだして、
モノトーンだった疑似にすこしずつ色がにじんでゆく。
若さ故のきらきらやぎとぎとではない、たしかにくすんでるんだけど
その油落としされた色合いに惹かれた。
観ている間ずっとうそとほんとの時間がちょくちょく
すり変わってゆくことにも翻弄されながら、さいごのさいごまで
彼等の日常を夢中で眼で追っていた。

観終わった後、ふいに思ったのだ。
彼等みたいなあの薄暗がりの表情の感覚をすごく知ってるなって思ったら
いつかどこかだれかの前でさらしていた自分のことだと気づいて、
なんだかあの映画の主人公たちはじぶんの分身のように思えてならなかった。

       
TOP