その一八九

 

 




 







 









 

虹彩に なにもみてない ひかりあつめて

はてなのマークは、ほんとは猫の後ろ姿で
先をくるんと曲げてる尻尾とお尻を描いてる。
びっくりマークもおんなじで、すこし警戒してる時の
猫の緊張した尻尾とお尻を描いてるらしいって
人から聞いたことがあった。
ばかばかしいよねぇと笑ったけれど、はてなマークを
みるたびにねこねこねこって思うようになってしまった。

散歩してて、すこし家から離れた場所を歩いてる猫に
出会う時それはいつも前じゃなくて後ろ姿だなって思うと
妙にふざけた解釈がふにおちたりした。

二日間だけずっと姿をみせていなかった猫がずっと家の
敷地内で鳴いていた。
わたしが台所に立つと泣きはじめて、家事が終わると
鳴き止んだ。
喉を転がすような、せつないファルセットが続く。
耳に響くっていうよりなんか胸に反響してくるみたいで
傷い気持ちが襲ってくる。
わたしがすてたわけじゃないのにわたしが置き去りにした猫が
ここに戻ってきてるみたいな感情に包まれてしまう。
日に日に嗄れてゆく切れそうな声が、いつしか喋ってるみたいな
声にかわった日をさいごにどこかにいってしまった。

じぶんと暮らした猫じゃないのに、迷い猫のことを気にかけながら
見ていた美術番組のナレーションの声が耳に残る。
<視線をあわせた時におわってしまう何かを恐れていたのです>
テレビのフレームの中には、未完成のままのミケランジェロの
ピエタが映し出されている。
大理石の中に潜んでるなにかを彫刻しようとした時間がそのまま
むきだしになってるような作品だった。
そこに彫刻されていた母と息子の視線は交わらないままで。
視線をあわせるとおわってしまう何かっていうフレーズを聞いて、
昔ずっといっしょにいてくれた黒猫のことを思いだして、
立ち止まってしまった。
いつだったか出会うってことは、はじめに出会うのはわたしの
目なんだって突然気づいたことがあって、
はてながびっくりマークに化けたみたいにわれ発見せりの気分で
気をよくしていたけれど。
でも、目がなにかや誰かに出会ってしまうってことはもうすでに
おしまいを孕んでるのだと知った。
あえて未完成を選んだピエタをみつめながら、胸がじんじんしてくる。
そして。
しずむまえにスプーンで触れたくなるメレンゲみたいな
ミケランジェロの心映えのことが嘘みたいに好きになっていた。



       
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