その二〇三

 

 





 







 






 

月曜日 音のかいだん ひとりでのぼる

いつもはそんなこと気にかけないけれど
ひとはいろんな世界をたずさえたまま
生きている生きものなんだなぁと感じるのは
電車の中だ。

この間とても富士山がうつくしく見えた日
小田急線に乗っていた。
すこしばかり小旅行の気分だったので
あたまはぼんやりと曇っていた。

大和かどこかの駅で少し空いた席に
身体が頑丈そうでとてもあたたかそうなセーターを
着たひとりの男のひとが、開いた席にすわった。

ちょうどわたしの真向かいにあたる場所に
その人は浅く腰掛けた。
姿勢をぐっと前屈みにさせて、ひざの上の両手を
あごに乗っけたまま、彼は車両の床を見ていた。

電車の座席に腰掛けるその形からして
もうその時すでにその人にはひとつの世界が
出来上がっていたのかも知れない。

なんとなく予感はしたのだけれど彼はその恰好のまま、
ふしぎな音を放った。
ハミングでも鼻歌でもない、なんだろうふたつを
まぜあわせたようなそうホーミーっぽい音だった。

西日がまぶしい時間帯だったのでその人の姿は
わたしの座ってる場所からははれーしょんを起こした
みたいにちらちらと光の中にしか見えなかった。

ずっと電車にゆられながらその人の口元からこぼれる
ふいをつかれてさびしくなってしまうような
メロディーがそこに響き渡った。

あ、こういうのを物悲しいっていうふうに
いうんだったって、いまはじめてその形容詞を
知った人のように、耳の中ににじんでゆく。

一駅分、彼はふしぎなメロディーを奏でると
次の駅で降りていった。
なんだかさっきまで聞いていた彼のことばのような
音がその車両にだけいつまでも残響している錯覚に
おそわれた。

喧噪が再びそこにもどってゆく。
音の階段をのぼったりおりたりしながら
その人の世界はすこしずつ形作られているの
かもしれないなと思った。
世界という言葉の使い方がいまひとつよく
わからないけれど、あの人はからだの外側の
りんかくから世界じみたものがはみだして
いるようなそんな人だった。

       
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