その二〇九

 

 






 






 






 

なつかしい まなこのままで うぉんって哭く

ひとつの石に惹かれてしまった。
なんの変哲もないんだけれど。
てのひらにすっぽりとおさまって軽く
にぎりこぶしをつくれるぐらいの
そんなどこにでもある石。

ブルーノ・ムナーリが1985年に来日したときに
置き土産として置いていった石。

その石はいびつなだ円をしていて、
横にすっと長く白い傷跡が残ってる。
横長のだ円を貫くような白い傷はいっぽんの
道にみえてくる。
それが道にみえるのは、ムナーリがそれを
道に見立てて自転車に乗ってる人を
マジックペンらしきもので描いているから。
もう少しで、ぐるりと石の裏にまで辿りつけそうな
地点に彼はいる。

どっちが表か裏かわからないけれど、それを
裏っ返すと、同じようにだ円の上の方に
刻まれたさっきよりは細い道を一匹の犬が歩いてる。
その犬の風情がなんていうかあてもなく
ただ歩くことだけに思いを馳せてるようなそんな
たたずまいがなんともいえない。

<同じ石の表と裏に描かれてしまった犬と人は、
こんなに近い場所にいるのに永遠に出会えない>
っていうキャプションつきで。

知らなくてよかったのに知ってしまって、そういうこと
云わないで欲しいと思いつつ永遠に出会えない石の上に
生まれた犬と人に釘付けになってしまった。

かつて、こんな石の上の犬と人であったことが
じぶんにもあるような気がしてくる。

人と出逢うってなんだろうとこの石を見ていてふと思う。
誰かと出逢ったときの楽しさや切なさやもろもろの思いは、
そのただ中にあるときよりも、ひとりになってから
感じたりすることが多い。
誰かがそこにいなくなってからのほうがその人の
輪郭がありありと浮かんだり。
すきもきらいもどことなくも、あとからあとからやってくる。
すべての感情が時差でやってくる感じは、あの石の上の
犬と人の関係をみているようで、近いのに遥か遥かに遠い
ものだと実感してしまった。

       
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