その二一一

 

 






 






 






 

記憶って いつも乱丁 とばしたりなくしたり

腕をのばして本棚の奥にしまってある本の背表紙にふれる。
すこしだけやわらかい感触。
わけあって、荷物があふれかえっていていま本棚の前に
身体を寄せられないので背表紙の名を眼で判断するんじゃ
なくてこのゆびの感覚に頼るしかない。
ゆびの指紋の刻まれたあたりがまるで眼になったように
これだと思うよたぶんこれと、教えてくれる。
いろんなずっと昔の時間に馴染んできたそんな文庫本を
ゆびで操り引き寄せる。

やっぱりみつけたかった本だった。
わたしのてのひらに載っている一冊の本。
定価八十圓、昭和二十六年一月十日發行。
いしかはたくぼく。
かどかはしょてんの旧かなづかいが新鮮だった。

祖父か祖母かが持っていた本を祖母が本棚の整理をするときに
これあげるから読みなさいと渡されたのがもうずいぶんと
昔のことだった。
どっちが読んでた歌集だったんだろうねって母と話しながら
なんとなくこれは祖父のものらしいという根拠のない
なんとなくだけを頼りにその説におちついた。

やけた色のページ、ひらがなのところどころの活字が
ずれていたり、句読点や句点がにじんでいて、手のぬくもりが
すぐそばまで伝わってくる。

ふと栞のはさんであるページを見ていた。
悲しき玩具の九十六ページと九十七ページ。
なんでここなんだろうと思う。
読みかけのところに挟んだだけだったのか
それとも好きな歌の棲んでいるページだったからなのか。
祖父のこころのなかを、だまったまま知りたくなった。

ブローチの針が服のすぐ下の肌を刺したみたいにちくちくと
するような歌が並ぶそのページのどれかに立ち止まってしまった
祖父を思って、ぢんぢんした。

数えてたわけじゃないけれど、かすれはじめてる右隅と左隅の
ページのところを見てたとき、いきなり六十四ページの次は
八十一ページになっていて、なんで? って思って
もういちどページを捲り続けていたら、一握の砂の四十八ページの
次が六十五ページになっていた。
なくしたんだと思っていたページをみつけた。

乱丁。
祖父の大切にしていたらしい歌集がらんちょうだったことを知って、
なんだかとてもいまいじょうに愛おしいものに思えたのだ。
何に対して愛おしいのか、よくわからないのだけれど。
いしかはたくぼくの啄木歌集一冊に対してでもあるような
それを知って知らずか愛読していたらしい祖父に対してでもあるような。

〈栞おとしましたよと声かけられてだれかの影もいっしょに拾う〉

       
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