その二一三

 

 





 





 







 

南下する あなたのアローン わたしのアローン

眼で読んでいたはずのことばがふいに耳で聞いてるように
感じられてすきだなこのことばって、ちょっとむねのなかで
はじけとぶような瞬間がある。

意味ももちろんだいじなのだけれど、まずはじめに
りずむにやられて、りずむを口の中でなじませている間に
すこしずれた感じで意味がやってきて、くだけていった
欠片を拾うように意味が胸のまんなかあたりで止まる。

<アローン・アローン・アンド・アローン>。
さいきん新聞の夕刊に掲載されていた日野皓正さんの
インタビュー記事を読んでそんなことばに出会った。
彼のデヴューアルバムのタイトルにもなっていることを
はじめて知って、あらためて日野さんってかっこいいなって
思ったのだ。

<ぼくはいつも一人なの>
何度か耳にしたことのある彼の口調がそこに甦ってくるようで
ぐいぐいと惹かれて読んでいた。
じぶんから誰かを食事に誘ったりしないことや手下をつくらない
群れないことを信条としていることが語られていてそのおしまい
あたりにふいに彼の声がこぼれる。
アローン・アローン・アンド・アローンだよ、って。

一匹狼も聞いたことあるしアローンだって知っているつもりだった。
でも、いままで知っていたどれとも違う響きで伝わって来て、
あらためてアローンのりんかくが覚悟のようなものを
携えながらあらわになった気がしたのだ。

ことばって誰がつかってもいいものだけれどもしかしたら
ふさわしい使い方ってのがきっとあって、
とくに簡単に見えそうなことばほど取り扱いを注意しなきゃ
いけないのかもしれないなぁと。

いちどだけ短歌のタイトルにしたことのあるアローンを思って
わたしのアローンはなんかぺらんぺらんのような気がしてしまった。

あなたのアローン、わたしのアローンってのもおかしな話だけれど
みしったはずのアローンがジャズ・トランぺッターの口から放たれた
途端にわたしにとってはちょっと手の届かないことばになってしまった
体感が、妙に新鮮だった

。 彼とトランペットがひとつであるように彼とことばがひとつに
なっていて、あのりずむのうねりのなかにうらはらの熱が
生まれているような、そんな思いでいっぱいになっていた。

       
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