その二一七

 

 






 






 






 

路線図の 環のなかにいま たちつくしてる

なにげなく聞いていたのに
イントロがすこぶる懐かしい。
アンドレア・ボッツェリが
カヴァーした「ベサメ・ムーチョ」

耳のどこかに触れた途端に
どこか遠くへっていうか
いちばんいきたかった所は
ここでしょってだまされてしまう。
この音楽のすごみに
ころりとやられてしまった。

小さかった頃応接間にあった
レコードのターンテーブルや
ソファの革のギャザーの寄った所や
絨毯の上を歩く足裏の肌触りなどが
たちまち思い返されて、すこしばかり
甘い気持ちになる。

いつだったか弟はいまだに昔
住んでいたあの部屋の夢を見る事
あるんだよって云っていた。
あたらしいソファを買い替えるまで
茶色と白のチェックのファブリックで
ソファを覆っていたことがあったのだけれど
いまだにその色のパーツだけがやけに
鮮やかな夢らしく。

親戚のおじさんか誰かが聞いていた
キサス・キサス・キサスやケ・セラ・セラ
などがあの部屋のテーマ曲のように
記憶のなかに、うっすらと
張りついてしまってる。

そんな甘い過去にあともどりしてる時
ふとふたたびイントロの始まりかけた
ベサメ・ムーチョの中に不思議な音が
聞こえて、耳をすませた。

はじめはため息かなって思ってよく
聞いてたら、アンドレア・ボッツェリが
ベサメのべが音になるほんひと息前ぐらいの
あたりで、ふふふと誰かにむかって
笑ってる声が一瞬聞こえた。

ジャケットの笑顔が思い浮かんでくる、
すごくなにかがほどけた気持ちになる息を
漏らしたような笑い声だった。

笑う声に色気みたいなものを感じたのは
はじめてだったのでたちまち、
いいなってその声におちてしまったので、
しばらくはそればっかり聞いていた。

ベサメ・ムーチョと笑い。
ほとんどひとつのことしかいってない
あの歌詞の世界と彼の笑いって
どっちも誰かに放ってるってところが
ぴたっと重なってる事にきづく。
このふたつの出会いはあたらしい
かっぷりんぐだと思う。
むぼうびがここまでつたわってきて
すきがたくさんあるすきの渦の中に
まぎれこんでしまった一瞬だった。

       
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