その二二三

 

 







 





 












 

できごとは いつも耳のそと いのち満ちるまで

ひばの樹を切っていた。
オリンピック辺りの8日ぐらいからずっと
西日が傾き始めるとのこぎりやハサミやスコップを
用意して作業にとりかかる。

垣根に植えられていた、未だに名前の
わからない樹々を剪定しおえるとひばにとりかかった。
まいにちというわけにはいかないけれど
手のあいてる時には、日課のように庭に出た。

いつも庭にでるのは母の仕事だったので
こんなにも青い匂いに辺りが満ちているのが
新鮮ですこしこわかった。

手袋の内側からしみてくる湿った土の感触。
じぶんがいつも触れない物に触れているかんじが、
おおげさだけどすこし野生に近づいている気がして
ふしぎだった。

すこしずつ切りそろえられて行った垣根の
名の知らない樹々を窓から覗いてみて母は、
どんどんきれいになってゆくじゃないって
うれしそうに声をあげたのでわたしはそれに
気をよくして、はさみを入れ続けた。

オーストラリアンセージがふわふわと枝を
伸ばしている下あたりを掘っている時
ふと、ここはって作業が止まってしまった。

夏が始まった頃に、飼っていたコッピーが
立て続けに死んでしまったのだ。
硝子の器を眺めていると、時折はげしく水藻が揺れた。
揺れるというより、もとあった位置さえも
ずずっとずらしてゆく勢いで、蠢く。
よくみているとその藻のすきまからいっぴきの
コッピーが水を縫って泳いでゆく。

はじめから大きかった一匹はよりでかくなり、
その行動も日に日に暴れるというニュアンスが
くわわっていった。
やんちゃになりはじめたころ、どことなく彼らの
住んでいる水の世界の雰囲気がゆがみはじめた。
つよいものとよわいものの図式がはっきりと水の中に
映し出されてゆく。
暴走遊泳がピークに達する頃、静かに泳ぎ続けていた
他のコッピー達はいちにちずつかけてひっそりと
その水の中で命を畳んでいった。
ボスのようにふるまっていた彼がひとりっきりに
なった夕刻も最期までその激しい泳ぎはかわらなかった。

死期を悟るっていうのかな死ぬ前にエネルギーが
いっきょに水の中で暴発してしまったんじゃないか。
生き物係だった小学生の同級生T君が聞くと
一笑に付すような答えしか我が家ではみつからなかった。

そして庭に3匹を埋めた。また喧嘩するといけないからと
二匹と一匹にわけて西と東に埋めることにした。

もう土に還ったころかなって思ってる時
空の彼方からずしんと身体に響いてくる花火の音がした。
鎌倉花火の音だった。
ときおりくさびをうたれるように響くその音を聞きながら
わたしはヒバを切っていた。

ベランダに上がってほんとうにさいごのさいごの
一発らしい花火を見た。風のせいで輪郭はあまり露じゃ
なかったけれど、夜空に咲いた花は最後におおきくたわんで、
あたりを鮮やかににじませていた。

       
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