その二二四

 

 




 





 













 

ゆびさきが おしえてくれる しんぞうのばしょ

いつもはひとりで書いている書を
今日はふたりで書いた。

墨をたっぷり吸い込ませたあと、
いつもと同じまっしろい紙、半紙を前に
筆で字を書くというシチュエーションは
同じなのに、今日はわたしのうしろに
ひとがいる。

武田先生の書道教室でのワークショップでの
出来事だった。
二人羽織のようにちょっとできないかなって
いう先生の提案でわたしたちはペアを組んで
書く事になった。

半紙の前に座っている人は眼をつむって。
そしてその後ろにいる人は、声だけで
書をナビゲートするというやり方で、教室中が
たちまちにぎやかになって、どんどんたのしい
気分がもりあがる。

わたしの頭の上あたりからAさんの声がする。
<そのまままっすぐおろしてくださいね>
<あ、もっと右ですも少し右、あ、いきすぎ
ました、こころもち左に>
って声が聞こえるのでその声だけにしたがって
わたしは筆を半紙の上にしずかに落とす。

使う道具もまったく同じなのに、とつぜん
知らない世界に連れられていったみたいで
一本の線をひくだけの行為が、とてもわくわくした。

眼をつむったまま、頼りになるのはわたしの耳に
届いていてくるAさんの声だけ。
でも彼の声がただのナビゲートじゃなくて、一筆ずつ
書き終わった後に、<とってもいいですよ、いい感じです>
<そのまま、縦にすっとのばしてください、あ、そうです
そうです>って声を聞くと、ふだんひとりで書いている
ときよりもとても気持ちよかったのだ。

明るい闇の世界から眼をあけて作品をみる。
Aさんの声の道しるべだけで書いた文字がまるでじぶんの
字じゃないかのような線質だったのだ。
出来上がった作品を見て武田先生曰く、どうしていつもよりも
力強く書けてるのってすごく驚いていらっしゃった。

この体験は、しらないじぶんに出会ったみたいで
最高に面白かった。
わたしは声に従って前にすすめばいいのだと思うと途端に
ゆだねることのここちよさが筆の先まで伝わって
なんのためらいもなく書くことができた。
ひとりのときよりもこころづよかったのだ。

Aさんの声をひたすら信じた結果できあがった
<辻>という文字は、ずっと大事にしておこうと思った。
かっこの中のわたしがはずれてゆくことの小気味よさ。
うまくいえなくてもどかしいのだけれど、筆を動かす度に
じぶんがリセットされてゆく、あらゆる瞬間を体感できて、
すりりんぐだった。

こうやってひとりひとりとだれかとしりあいながら
こえかけてもらいながらわたしはつづいていくんだなって
思ったら、これから起こる未知の事さえこわがらずに
たのしめそうな気持ちになっていた晩夏だった。

       
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