その二二八

 

 






 






 














 

てのひらを うつわにしても こぼれるかけら

じぶんのうえにおちてくるボールを
胸のまえでうけとめるときよりも
だれかが放ったボールを、
すこしぶざまでもばらんすくずしながら
とれたときのあのずしんの痛み。

痛みがてのひらにまだじんじんと血が
あつまってきてどよどよしている感じを
この間の土曜日、感じた。

ものすごく青かった。
青いってよく知らなかったのだ。
どういうことなのか。
ちゃんと青くなきゃいけないときに
青くなかったわたしはいまごろ青いことに
夢中になっている。

もともとは見知らぬひとたちなのに
なかば二番目の家族のように感じている
人たちがいる。
家族ってのはふだんはどこかよそよそしい
けれど、たとえば笑う箇所であるとか
かなしい場所であるとかそういうものを
否応無しに共有してしまうところが
あるけれど、なんかそういうのにちかい
人たち。
こういうこととは無縁であるだろうなと
予感していたのに、反転した。

紙と筆の世界なのにそこは静かでなければ
モノクロの世界でもなかった。
体温がみちていて、色があふれかえっている。

このひとたちとひとつのものを作ってきて
ほんとよかったねっていう気持ちがひたひたと
わいてきた。

走って走ってくるしかったのちに現れる
息が整ってすこし楽になることを第二呼吸という
らしいって、この間「最後の瞬間のすごく大きな変化」
という小説の中ではじめて知った。

<第二呼吸>。
じっさいランナーになったことはないけれど
ある地点で息がととのう感じをそれに例えるなら
なんとなくこの間感じた感情はこれに近かったの
かもしれない。

そこにいたすこし酔ったAさんのことばがこころに
直接ふれてきた、まえぶれもなく。
それはいちどこの生を終えてしまってからを指した
みじかいことばだったのだけれど、ぶれずに胸に届いた。
こころのひだにAさんのことばが、じかに触れて来るのが
わかった。
そして、立ったまま、泣いてしまった。

はやくて直球のボールを素手でうけとめたときのように
ばしんずしんと、てのひらが熱くなる感じを思い出した。

ことばって声ってこんなにちからをもっていたことに
おどろいて、あらためてどこかにとりだしてみたくなる
ぐらい、変化にみちていた一日だった。

       
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