その二二九

 

 






 










 
















 

ゆきかねて とまってしまう 風の軽さに

するどいっていうよりも、おだやかに
なにかを見抜いている眼差しの男の人が
黒いTシャツのまま祈るように手の形を
作っているモノクロ写真を見ていた。

その佇まいに一瞬で靡いてしまった。
舞踏家の大野慶人さんの、その両の掌の間には
ティッシュペーパーが挟まれている。
品川の小学校で行われた、心と身体の
ワークショップでの記事が掲載されていた。

舞踏の表現力を用いながらからじぶんのこころの
動きを身体のうごきにつなげることが体験できる
と記事には記されている。

大野さんの言葉でとても気に入ったところが
あったので思わず切り抜いてしまった。
<ティッシュペーパーをいちまい持って動くだけで
紙一重っていう意味だけでなく、
おまけに動きの軽さまでがわかるんですよ>って
さらっとおっしゃっている。

なんだかとてもひきつけられたのだ。
ティッシュペーパーいちまいにつつまれている世界が
そんなに奥行きを感じさせるものだったのかと思って、
彼の映っている写真をもういちど見る。

ゆびさきに挟む時の軽いなと思うこころがからだに
伝わってふたたびゆびさきにまでしみてくる。
それを持ったまま動いた時に、なんとなく軽やかな
動きになるのかもしれないなぁと。
紙一枚の重さって軽さってなんだろうと思う。
思いながらその重さ軽さがこころへの重さと軽さに
つながる。

こころが重いって軽いってなんだろうって。
いちど、そのことで好きだった人と喧嘩になった
ことを思い出す。

その日のわたしのこころははじめて重くなったのかも
しれない。
軽やかでありつづけないと負担をかけると思いつつ、
真逆の動きをしてしまったのかもしれない。
最近、昔のことを時間列で思い出さなければいけない
機会があったので、たぶん軽さと重さってことばに
反応してしまったのだ、きっと。

こころとからだはつながってるんですよっていう
知っていたはずの言葉が大野さんの姿を拝見しながら
読んでいると、また鮮やかに息を吹き返す。
そして。紙一重の違いがあの薄さのなかに乗り越えられ
ないぶあつい壁が含まれている気もして来る。

ティッシュペーパーいちまいが、じぶんにとって
なにか記憶の栞のようにみえてきて、鞄の中の
きりぬきをしまうと、ふしぎな気持ちをひきずったまま
はじめての場所にゆくための電車に乗った。

       
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