その二三九

 

 







 







 

















 

ましかくに ずれてゆく歌 輪唱の声

日曜日の夕方、弟が訪ねてくれた。
ドアを開けるとちいさな薔薇やカランコエが、
あしらわれたフラワーバスケットを持っていた。

お誕生日おめでとうってそのカゴをわたしにくれた。
思いがけないことをして楽しませてくれるところは
小さい頃から変わっていないなって思いつつ、
彼がバイクで帰って行った後、玄関に飾った。

カノンって名前の薄いピンクの薔薇と朱と黄色の
ローズ咲きのカランコエのポットのまんなかに
虹色で書かれたハッピーバースデーのプレートが
ちょこんと挿してあった。

ある夜、ノルウェーの街をただ散歩するっていうだけの
シンプルな映像を見ていたとき、ちいさなかわいらしい
男の子の兄弟が、道ばたで紫色の花を花束にして、
ちいさな手につかめるだけ握っていた。

どこに持って行くの?
ってナレーションの声が問いかけると、ママにあげるの
って云って、カメラはその男の子の家までついてゆき
ドアのところで男の子がママに花束を手渡すシーンを
みていた。

今しがた摘んで来た草花をその母親は受け取ると、
ほんとうにうれしそうに、彼女の顔に笑顔が灯った。
ずいぶん昔、母も弟から、こぼれおちそうなぐらいの
デンファレをシンガポールから送られてきたときの
華やいだ笑顔を思い出す。

母と息子と花束と。
なんだかそこには瞬間的につながれた回路があって、
わたしなんかはすっと横入りできそうにはない道が
あるのかもしれないななんて思ったりする。

花はうつくしいものだとか、きれいだとか
かわいいとかそんな感情と親しめなかったような
気がするけれど、最近になってちゃんと
うつくしいだとか、きれいだとかそういう
感じ方になじめるようになったじぶんに
はっぴーばーすでーって感じの一日でした。

       
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