その二四三

 

 






 





 






















 

ねむるひと はてしないひと 曲線えがく

駅についてから、かならず迷ってしまう
駒場公園までのみちのり。
案の定、ただしい道がみあたらなくて
ちがう公園に迷い込んでしまったりしながら
たどりついた先日の金曜日。
尾崎翠の新世紀〈第七官界への招待〉という
シンポジウムを聞きに行った。

川上未映子さんが、尾崎翠はよみおわったあとも
ぜんぜんよみおわった気がしないって
語っていらっしゃって。
そのことを円環ということばで表現されて
いたのだけれど、ほんとうにそういうところわたしも
感じるなぁと、ここちいいい大阪のニュアンスの
ことばに耳を傾けていた。

いつまでもおわらないってことばを耳が
とらえた途端に、日常なんてほんとうはなにかが
はじまってちゃんとおわってゆくためしなんて
ないのかもしれないっていうことに気づかされた。
なんとなくはじまってぐずぐずにおわったような
かたちをとってるにすぎないのかもしれないと。

ほんとのところ出来事、物事それらは、いつもすこしずつ
置き去りにされたままじぶんのまわりをまあるい
みえないわっかのようなかたちで、まわりつづけているような。

尾崎翠の小説のページにふれると、いままで
知っていたはずの言葉、<恋>や<吐息>や<夢>や<過去>
や<宇宙>がことばの意味をさらさらと失ってゆくかんじに
さらされているのを目撃して、かすかにきもちがゆらぐ。

そしてことばから意味をぬがされていることばにであって
なんともいえない、解き放たれた感じをいだいてしまう。
ことばが、ことばじしんからじゆうを得た感じを、
小説の中にまぎらせながらさしだされる、この体感が
尾崎翠をよむことのいちばんの至福なのかもしれないなぁ
なんて思ったりしていた。

第七官界彷徨を、初めて教えてくれたのは、ひとりぐらしを
していた頃に、同じマンションに住んでいた俳人の
松本恭子さんだった。

彼女と部屋をゆききしながら、食べたり喋ったり泣いたり
怒ったり笑ったりしたことが、尾崎翠という作家の本を
開くたびに、濃い香りを伴って甦ってくる。
ふたりで焼いたガーリックトーストの匂いと、
ふたりがたがいに飼っていた猫の鈴の音なんかが
まじりあったような感覚がふいに訪れて、じぶんの頭の
上あたりでうらうらと輪をなしているような感じに
おちいってしまう。

       
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