その二四五

 

 





 






 























 

<想い出>の 輪郭ぶれて わらってみたり

ふるい小学校を改修していまは
あたらしく会社の顔として生まれ変わった
そこに、蛍光灯らしき灯りが灯っている。

光が届いている運動場の地面が淡い茶色に
照らされて。

夜の校舎に灯りが灯ってる風景はすこし
いつもと違う感じが漂っていてどきどきする。
夜の家並みに灯りが灯っているのは、多少
せつなさは伴うけれど、いつもの風景だけれど。
やっぱり夜の小学校は、胸がざわざわする。

立花文穂さんの責任編集されている雑誌
『球体3』をめくりながらその光景のページを
みていた。

むかし、学校だった場所がいまは、「よしもと」の
会社になるまでの、建築ドキュメントのような
記事を読む。

そこに記されていた小学校って、<横>にのびる
感じがあったという一行を目にして、なんでそんな
あたりまえのことを忘れていたんだろうと思った。

そうみんな<横>に<横>にの世界の中で生きて
いたのだ。あの頃は。
廊下だって、下って上に上がるものっていう機能は
あるけれど、いちだんずつを、ぱいなつぷるとか
ちよこれーととか、ぐりこぉとかいいながら、
横広い階段を雨の日の遊び道具にしていた。
となりのなんとか君のいる部屋はずっと同じフロアを
横にいくつかずれたら辿り着けたし、あんまり上というか
縦をみなくても住む世界で安住していたのだと、
ふいに気づかされた。

おおきくなると、どんどん縦、縦、縦の時空間に
覆われてゆく。たぶんわたしはそういう成長を強いられる
縦思考みたいなものについてゆけないところが
たぶんにあるのだろうけれど、むいしきのうちに、
届かないなりに縦の目線をどこかに掲げるように
なってしまったのかもしれない。

たまに<横>の世界にふれるとどきどきするもんなんだ
なって、いまはじめて感じた。
その入り口がいまは<よしもと>として
にどめの誕生日を迎えたこの<旧四谷第五小学校>だった。

ぼんやりずっと窓の外から雲のながれにみとれてて
先生に怒られて立たされて、それでもまだ飽きずに
空を駈ける千切れ雲から目が離せなかった小さかった頃。
たちまち時間を深く縦に抉る。そしてめいっぱい横に
ずらしながら、胸騒ぎのする季刊誌
『球体3』のページを、わたしはめくりづつけていた。

       
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