その二四六

 

 






 






 
























 

くせのある 文字をかかえて 青い場所へと

10年ぐらい前に使っていた使い捨ての
万年筆。ある日、とつぜんカラカラになって
なんにも、にじませなくなった。
ペン先の上あたりをねじでセパレートに
出来るタイプじゃないので、カートリッジの
残量が確かめられない。
いつ終わるかいつ終わるかと気になりながら
使っていたので、案外はやく寿命を終えてしまった
時は、まあ景品みたいな頂き物だから仕方ないか
と思いながらも、燃えないゴミゆきにはなかなか
ならなかった。
紙にすこしだけ、ペンの跡だけを残すことしか
できなくなっても、なぜか捨てないでいた。

カラダも黒いプラスティックだし、とりたてて
どうってことのないデザインなのに。
その指馴染みのよいちょうどいい太さと
チープさが不思議と気に入っていた。
書けなくなって、用を終えたはずなのに、なんか
まだ大丈夫って風情を醸し出していたせいかもしれない。
いろんなものを整理している時にこの間それが
出て来た。やっぱり今も、ひかひかのままで
なにも滴らないので、いまはインクのボトルに
ペン先をひたして使ってる。

すこしインクに浸しておくと、息をふきかえした
みたいに、すこし太めの線を描いてくれる。
ゆびにはさんだ瞬間、そうそうこのぽってりした
安定感を再び思い出して、とても馴染んだ物に邂逅
しているすこしうれしい気分になった。
久しぶりの再会だからこれでどんどん書こうと思って
出さなければいけない手紙などの下書きを
しようとしている時だった。

なんか妙な感じがする。
なんだかいつものじぶんの筆跡と違う感じでしか
字が綴れない。いつもはこういうふうに跳ねるのに
って思ってむりにでも右払いや左払いをしようと
すると、かすかな抵抗を感じる。
いきたい場所にたどりつけないようなそんな
もどかしさを感じてしまった。

あの時のままひっそりと忘れられていたチープな
万年筆のなにかが変わってしまったのかなって
思って、ふいに思い出した。

このペン先が最後に自力でインクを滴らせていた時に
この万年筆を握っていたのは、わたしじゃなかったことを
思い出したのだ。
はじめてお目にかかった方が、手帳にかいてくださった
ことばが、この万年筆のさいごの仕事だった。
カラダのずっと上のほうをもって書く方で、筆圧はつよく
ないのに、できあがった文字のつらなりにとても
まっすぐな意思を感じるようなそんな筆跡の方だった。

ふたたび、メモ帳の上にペンを走らせる。
やっぱり、幽かな抵抗。
あ、この抵抗はあの人の字の癖がそのまま、万年筆のどこかに
残された証なんだなって思った。
なんと名付けていいのかよくわからない感情だったけれど。
すこし胸がしくしくした。
その人の姿はみえなくなっても。ここにちゃんとその人が
いるような感じがありありとする。
ふくよかなカラダをゆびで握りしめながら、ふたりで文字を
綴っているようなそんな瞬間をかみしめながら、
そこに現れるじぶんのようなじぶんじゃないみたいな字を、
ありったけ書いていた。

       
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