その二四八

 

 






 





 





















 

ふしぜんと しぜんのあわい 並んで立って

薄曇りだった日、梅雨に入る前に
垣根のアオキを切っておこうと、ひとりで
青い脚立にのぼってもくもく切り始めた。

ハサミを入れるとき、あのなんともいえない
緑の匂いを感じる。
緑なのにとても青い涼しい匂いが鼻をつんと
刺激してくる。

太い幹にはときおり鋸をひいて、がきりと
枝が離れるとき、どんどんそれたちは
所属していた場所を離れて、地面に落ちる。
太い幹も地面におちるとたちまち無所属となって
ゆく、わかりやすさ。

葉っぱのかさなりあった絨毯をわしわしと
ガーデニングブーツで踏みしめる時の
心地よさが足裏を伝わってくる。
なんのためにだとかこれからだとかみらいだとか
なくしたものだとか、ほんととかあしたとか
そういうものから解放されてゆくせいなのか
とてもこういう作業は好きなのだ。
たぶん向いているんだと思う。

屋久島で流した汗はぜんぶ森林浴してるときの
緑の匂いがするんだよって、友達の言葉を
思い出しては、ここにあるアオキの緑と
訪ねたことのない屋久島の緑をなんとなく
つなげようとしてみる。

コーナーまでやっと切り終えた辺りで
ふとかき分けてみると、そこのずっと
奥の方に、ちいさな親指と人差し指で
まるをつくったぐらいの大きさの
蜂の巣がくっついていた。

簡単に、幹から離れ堕ちてゆく。
その巣の色は、ベージュのような枯れ木色の
ような、からからと乾いた感じの使い古された
古巣だった。

誰も帰る蜂のいない巣って、どうしてこんなふうに
からっぽ感に満ち満ちているんだろうと
みつける度にふしぎになる。

なにかが途絶えた感じがみなぎっているせいか
ちっちゃな廃墟のオーラを発しているみたいなのだ。
人が住まなくなった家が、日に日に寂れていってしまう
感じと似ていて、どきっとした。

「展覧会の絵」のチャイムが鳴るのと同時ぐらいに
作業を終えたわたしに母が窓を開けて声を掛ける。
あしたの朝、がらりを開けた時がたのしみね。
さっぱり五分刈りのようになった威勢のいい
あんちゃんみたいなアオキの姿を朝の光の中で
みたいのだと言った。

       
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