その二四九

 

 






 







 






















 

どこまでも うずまきのむね おもいだすつみ

キッチンのカフェカーテンのすそのフリルの
ところに、どこから来たのか
かたつむりがへばりついてた。

こゆびのつめよりもちいさいからだをもった、
かたつむりはわたしが朝ごはんを
食べ終わってもまだそこにいた。

ふいにかたつむりは、我が家のカーテンの
こんなすそのところなんかでは相当居心地
悪いんじゃないかと気になりながらも、
なんでこんなところにいるんだろうと
存在がふしぎでたまらなくなった。

きっと、庭から摘んで来たユリかなにかに
ついてきていたのに、なんかのひょうしで
ユリとはなればなれになってしまったんだろう。

おもいがけず出会ったので唐突にかたつむりの
ふさわしい居場所を思いながら、居場所って
何だろうって思っていた。
<居場所がない>とかってフレーズはよくきくし
かつてじぶんも、おおげさに居場所がないってそこに
焦がれていたこともあったかもしれないけれど
あらためてそういうことに思いを馳せてみた。

そもそも居場所があるとかないとかって
その場所についての申し立てなんだろうかって。
ちがうなって、たちまちじぶんのなかに
答えがうまれた。

ずいぶん長い間居場所って場所そのもののことだと
思っていたけれど、場所はもしかしたらどうでもよくて
そこにどんな人達といっしょに居るかってことなんじゃ
ないかと、あたりまえのようなことがいまになって
輪郭をあらわにしだした。

ひとりじゃどうにもならないけれど、いまだれと
そこの空気を埋めようとしているのかってことが
居場所があるとかないとかっていうことなのかも
しれないな、って感じた。

すばらしいと思える人達の中に囲まれていたとしても
はやくその椅子から立ち上がってあのドアあけてここから
立ち去ってしまいたいとおもえば
それはじぶんにとっての居場所じゃないし
場所としてはすこしなにかたりない場所であっても
いまこうしていられる空間がとてつもなくしあわせに
感じることができたら、それはどんなにちっぽけな場所でも
そこはわたしの居場所になるんだと思う。

そう思ったらすっきりしてきて、キッチンにもどってみた。
まだそこにいたかたつむりを引っ越しさせることにした。
なんか梅雨時のポストカードのデザインみたいで
ちょっと、はしたないかなと思ったけれど
ガクアジサイの葉っぱの上にちょんと置いた。
かたつむりの居場所はここでいいんだろうかと
とまどいながら。

よくみると、アジサイの波打つ葉っぱの上を
ちっちゃなかたつむりはじりじりと
句読点のように、うごきはじめていた。

       
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