その二五一

 

 






 







 





















 

触れないで 佇んでみる けむり放つまで

パフュームの語源が、「煙を通じて」と
いう意味だと海のエジプト展にまつわる
新聞記事で知った。

祖先の王と地上をつないだと記されていて
なんだか、香があたりをまっすぐつらぬくように
くゆっている煙の姿がみえてくるようで
すこしどきっとした。

ことばの意味がそこに現れると、なにか
りんかくがあらわにそのもののカタチが
くっきりとたちあらわれてくるようで
面白い。

天は天だし、地上は地上だしって思っていた
時にはなにも感じなかった、どこかとどこかを
むすんでいるものが、たちまちみえてくると
そこにはいつもみっつの関係性があるんだなって
勝手に想像していた。

天と地とそこをつなぐパフュームと。
香りは、なにかとなにかをつなぐつなぎのような
ものなんだと気づく。

ずいぶん昔に頂いた、関西の陶芸家の方からの
お手紙をもう何年も経ってから開いたときのことを
思い出す。
便せんを開くと、クチナシの花の押し花が、
すこし色褪せながらも香りだけはまだ充分に放っていた。

はじめて開いたときもうれしくて、押し花になるまでの
時間がとてもありがたかったのだけれど、その時も、
時間が甦って来るようでぎゅっとせつなくなった。

せつなくなった理由はよくわからないけれど
その時、すぐにわたしは手紙を封筒の中にしまいこんだ。
ずっと封筒の中の黄昏の便せんの部屋の中で
なんねんも香りを放っていたんだなと思うと
そのくちなしの時間が、とたんにあかるみに
でたことがあまりふさわしくないような気がして
元のいる場所へとしまいなおした。

押し花が匂いを育んでいるのはいつも静かで昏い場所
だけれど、誰の眼にも触れない時間こそが押し花の
居心地のいい場所なんだなって気づくと
みたいのにみれないじれんまにおそわれた。
ほんとはいっしゅん眺めて、ぱたんとしまうっていう
ぐらいの視線の送り方がいいのかもしれない。
そのいっしゅんの中に潜ませながら濃密な香りを
放ってくれるのだから。

再び手紙を開いた時、手紙をくださった方とわたしと、
押し花になってしまったクチナシの花が、
ちゃんとそれぞれの時間と時間をむすんだんだなって思った。

なにかがどこかに届くことって、いつもりあるたいむとは
限らないけれどなにかがたちまち輝く瞬間って、
なにげない日常のなかにこそあるのかもしれない。

       
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