その二五二

 

 






 




























 

いまもまだ 夏がすきですか 呼吸ちりぢり

しんぞうに遠い場所から水をかけるのよ。
そういわれて、プールサイドにこしかけて
あしもとからすこしずつうえにうえにむかって
みずをかける。

<しんぞうがびっくりしないように>。
そんなことを母に言われて、いいつけを守った名残が
ときどき仕草のどこかに残っていることを感じる。
時折、プールの水の跳ねる音と先生のメガホンの
声が風にのって聞こえてくると、なんとなく
ビーサンでぱたぱた走っていた子供だった頃を
思い出す。

海を眺めにゆくことはあっても、海のなかに
ひたひたっとからだをしずませることも
なくなってどれぐらい経つだろう。

山に行きたいとはあまり思わないけれど
海に行きたいと無条件でおもってしまうのは
海に住んでいたころの太古のDNAが
さそってるのかな? とも思ったりする。

パシフィコ横浜まで「海のエジプト展」に行って、
海の中に埋もれていたかずかずのコインや装飾品や
5メートルを越す三体の巨像などを仰いでいたら
名前のない力に圧倒されていた。

ただよいながら、海の底にもぐりながら
かつてあった時代をそこで、まだ静かに
育んでいたような感じが、青のイメージの
展示場や足下の波紋を呼ぶセンサーや、あぶくが
生まれる時に似た音響効果などで、浮遊している
気持ちになる。

地上で起こっているさまざまな現象や出来事から
逃れた気分だったけれど、海の底に眠っていた
古代都市でのいとなみを、目の当たりにして
アレクサンドリアは、とぎれていた世界じゃ
なかったことを体感していた。

ひとつの遺物から、想像の糸をたぐりよせることで
しか成り立たない古代だけれども、ものいわぬ
貨幣やイヤリングや食器群からみえないエネルギーを
ぜんしんにあびた感じがからだにまつわりついていた。

会場をでても、すこし遠くに見える海を
ながめているだけで、海と海のあいだに
たたずんでる気がしてくる、ふしぎな体験だった。
とても湿った潮の匂いのする風が鼻をくすぐる。
その重たいようななつかしい匂いを感じていたら
久しぶり海に入って、からだをひたひたとしずませたく
なっていた。
熱かったものをちゃんともとの温度へと保たせたくて、
おもむろに光る波にむかって歩いていた。

       
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