その二六〇

 

 




 






 


























 

長い夜の 境界線で まどろまないで

家の前に、煙草のパッケージが落ちていた。
煙草を吸う人がみぢかにいないので、
そのパッケージ自体が、よそものの顔で
こっちに飛び込んでくる。

拾う。てっぺんの紙蓋を開ける。
からっぽだった。なんとなくからっぽで
よかったと思う。まだ吸いたかったのに
うっかり落としたものだったら、なんか
こうやって拾い見てるのもなんとなくばつが
わるいような気がして。

すぐに捨てようと思ったのに、なぜかその
デザインがいいなって思って、家の中の
ゴミ箱までの間にまじまじと眺めた。
<KOOL BOOST 8> っていう銘柄らしい。
箱の側面にはゼロとゼロがふたつかさなって
8っていうカタチがデフォルメされていた。

うぐいす色みたいな箱の色もよかったし
うっかりとっておきたくなったけれど
じっくりみたあと、捨てた。
どうしてこんなに脳裏に焼き付けるように
眺めているのかもじぶんでふしぎだった。

そんな日。地図を片手にはじめての場所へと訪れた。
となりは美容院でその脇道に石畳がある。
それをみちしるべのようにして辿って行くと
一軒家についた。

足を踏み入れたとたんに、ふるいたたずまいなのに
なつかしさを柔らかく拒絶していて。
その凛とした空間の潔さみたいなものが気に入って
少し長居してしまった。

開け放たれた窓から、何葉かの落ち葉が
床や机の上に無造作にちらばっていて。
ふいに窓から入って来たのか、誰かが
置いて行ったのかそのあわいあたりに存在している
落ち葉。

壁にレイアウトされているのは、横浜の大黒ふ頭や
横須賀の長井ハウスなどのだれもいない空間の写真。
じっとみていると、この空間同様、語りかけてくる
体温から見放されてしまったような、しずかな
モノローグが聞こえてくる感じがした。

みしみし鳴っている赤い絨毯の敷かれた階段の床を
ふみしめながら、いま感じてるこの決して居心地が
いいわけじゃないのに、あとにしたくない気分は
なんだろうって、思いながら二階に。

長崎の軍艦島の写真にひきつけられる。
たしかに存在しているのに圧倒的な不在感を
放っている。<境界線の彼方へ>というタイトルが
しっくりとからだのなかにしみこんでくるような
写真だった。

わすれていることとおぼえていること、
ここに在ることとなくなってしまうことの
境界線ってなんだろうって、
胸がざわざわした。

この建物の由来について聞いてみた。
もともとは住居で、その後診療所として
改築されたらしく、レントゲン室の名残も感じられて、
とにかくふしぎな空間だった。

この建物の中にいると、ここがほんとうに
存在しているのか不安になるぐらい、みえない
エネルギーを感じた。けれど、この写真展との相性が、
寸分の狂いもないぐらいにぴたっと寄り添っている。

あたたかさを求めていたときに、ひときわ冷たいものに
触れて、かえってその冷たさに馴染みたくなる感じに似て。
であいがしらのであいがあってよかったと思える瞬間を、
そこから立ち去るときに感じていた。

石畳を踏んで、来た道と反対の道をまっすぐもどる。
なんだか、妙な感覚にとらわれる。
ふりかえるともうその空間はなくなっているような
そんな気配を背後に感じながら。

       
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