その二六一

 

 






 






 
























 

くちびるが しらない歌を こぼしたままで

いつもとちがうパンを買う。
またたくまに売り切れてしまう紅茶のパン。
ちかくに歩いていける距離にパン屋さんが
あるのは、すこしうれしい。

選んでいる時間なんてあっというまなのに
トングではさんでトレーにのっける間
なんとなく、ふかふかとふくよかな
気持ちになる。

スライスしてもらっている時。
かたちはシンプルなのに、カッターをあてた
とたん。
あたりをたゆたうようにアールグレイの葉っぱの
香りが漂ってきた。

あしたの朝はきっとまちがいない。
なんとなくそんな気分をさそう匂いが
通りにまではみだしそうなかんじでちいさな
お店いっぱいに広がっていた。

レジでお店のおんなの人と他愛もない
ことばをかわして、その店を出る。
帰る時、その扉を開けるとカウベルが
やわらかく鳴った。

道すがら、パン屋さんの赤いふくろがゆれるたびに
香るせいか、いつかおこった出来事がぜんぶ
通り過ぎてゆく感じがした。
その通り過ぎてゆく感じに、たちどまらずに
ちゃんと見届けられるぐらい、じぶんは
遠い所までいつのまにか来てしまったような。
おかしいフレーズだけれど、おもむろに
パンはみらいをつれてくるってことばが
うかんできてしまった。
すくなくともまだみぬあしたの朝の時間を
はらんでいるな、と。

家にもどってからも、パンのことが書いてある雑誌を
めくっていたら、宮沢賢治の「春と修羅」にであう。  
  <小麦粉とわづかの食塩とからつくられた
  イーハトーブ県の
  この白く素朴なパンケーキのうまいことよ
  はたけのひまな日あの百姓が
  じぶんでいちいち焼いたのだ>

すごく楽しい事。すごく悲しい事。
年を重ねたせいか、このふたつはいつもいつも
あることじゃないんだなって気づく。
ささやかで楽しい事とちいさく悲しい事の連続で
日々がなりたっているような気がする。
それでも、思いがけない出来事に遭遇してしまう
ものだけれど。

紅茶のパンはなんだかあなどれない。
きのうだとかもっともっととおいきのうだとかが
まるでじぶんとはとてもうすいかかわりあいしか
なかったかのようにふいにあらわれては、
きえるのだ。
ちいさいころ焦がれていたみずうみに
うかぶうきしまのように。

       
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