その二六二

 

 






 






 
























 

てのひらの 熱をあずけて ひたひたの夜

水のしずくをうけとめるてのひらの
うつわのなかの、てそうのあたりが
こそばゆい感じだとか。

いつまで待っても来ないバスを待っているあいだ、
いつのまにかひざしをあびていたらしい
ジーンズの足があついだとか。

だれかのかさからすべりおちてきた
雨のひとしずくが、おもいがけずうなじを
つたって、しぬほどつめたいだとか。

そんなからだのこまかな場所にふれる感覚は
たいてい知っていたつもりだったけれど、
このあいだ、ふいをつかれる
感覚にであった。

手の甲とかゆびを、ひとはだにぬくめた
ソルトマッサージしてもらったその後。
容器の中にとろんとした水溶液のようなものが
入れてあって、そこに手のひらをパーのかたちに
したまま、どぼんとしずめるのだ。
それも片手ずつ。

その器の中が、熱いものにふれたときにおもわず
ゆびや手をひっこめるときの温度のぎりぎり
手前って感じの温度で。
なんだろうって思っているうちにてのひらは
まっしろいもうひとつの皮膚でつつまれたような
色に染まった。
はじめて感じる熱は、やがてじぶんのかたちに
添った温度へと変わる。

乳白色の右手と左手がいつもとちがう顔で、
そこにいる。
ろうそくの蝋だけをまとったてのひらは
お風呂にはいっているときのように、
ずんずんと、てくびをのぼって二の腕を
とおりすぎ肩甲骨から、急降下してどこかわからない
ばしょを、あたたかさだけでみたしてゆく。

そして、ビニルのグローブの中で密閉されていた
右手と左手は、手袋をはずすみたいに
蝋を纏ったもういちまいの皮膚を
ゆっくりと脱いでゆく。

熱っぽさがしだいにじぶんのなかからとおのいて。
あたりの冷たかった空気にふれるせつな、
なんだか名残惜しい。

なんかこの感じってなんだろうって思ったら、
それはおもいがけず分厚くて熱い手のひらを持つ人と
握手したあと、その手をほどく時に似てるなって
思った。

もともと無防備だったくせに、ふいに熱い誰かの
体温を知って、とつぜん無防備だったげんじつに
さらされたような気になるとき。

熱を感じるって、うっかりひとにすきって感情を
もたらすからやっかいだなって思う。

そよそよと窓の外は、やがて夜になってゆく。
夜のことについて書かれた文章に、であいがしらの
ように最近出会った。

  <夜は着古した手放せないシャツのように
   しみじみしていてありがたい>

寒さがしたたるような、そんな冬の夜。
これがその作家のスワンソングだと知って
あられもなく夜に地団太ふみたくなるような
気持ちにかられた。

       
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