その二六五

 

 






 







 

























 

ガラス窓 あなたの息で 曇る夜更けは

ときどき、音楽に沿ってじぶんの
きもちが決まってゆきそうになるときが
ある。

すでにこぼれだしてる。
耳をすますなんてことをしないでも
どこからかやってきて、するりと
耳の中からこころめいた場所めがけて
ひっそりと、潜んでしまう音。

この間、あたたかなイブの日に
タクシーを降りた途端、そういう経験をしてしまっ た。
降りた場所の近くが、DJブースになっていて、
耳なのかどこなのかはわからないけれど
その曲が耳の先に触れた途端、どうしてなのか
なぜか懐かしがってるような感じが、あふれてきて。
歩きながら、照れてしまうような感覚に陥った。

その歌は、母が新聞をよんだり植物図鑑と
くびっぴきになっていた時にいつも流れていた
ような気がするので、聞いた覚えがあったのに
思い出せなかった。
だから、ずっと頭の中に棲まわせておいた。

強烈な思い出がその曲にあるとかじゃないのに
どうしても、その音が段々遠くなるのに
わたしの耳の中では、どんどんらせんを描くように
濃くなってゆくのがわかった。

むかし、ベネゼエラのオーケストラの
ドキュメンタリーを見ていて、印象に残った >ことばがあった。

うろ覚えだけれど、<音色は消えることのない指紋。
音色は、決して自己完結することはなく常に
なにかのために存在している>

そのことを思い出したのは、家に帰り着いて
夜遅くのことだったけれど、頭の片隅に置いておいた
メ ロディーの断片をひろいあつめる。

たぶんアンディーウイリアムス。
ボーカルに辿り着く。
母のCDをトレーに載せて、?ボタンにふれたせつな。
耳の中の欠片のようなぽっかりあいたメロディーの
空白のなかにすっぽりとおさまったのは、
やっぱり彼の歌う曲だった。

「酒と薔薇の日々」
だったんだと気づいた時は深夜をまわっていたけれ ど、
音のつらなりが、あまりにもムーディーなのに
はじめからその歌がすきだったみたいに
その音楽によって、すべてじぶんの気持ちが
くるまれていった。

わたしのではなく、たぶん母の思いでの中に
棲んでいる歌のはずなのに、なにかとくべつな
出来事がこの曲のうしろっかわでは起こっていた
かのような錯覚におちいった。

であいがしらの音に、無防備なわたしは
いつもなにかしらの感情を預けたくなる。
クリスマスにあまりいい思い出はないけれど
ことしのイブに「酒と薔薇の日々」に出会えたことは
ちょっといろんなことをちゃらにしてくれそうで
ありがたかった。

今年もうたたね日記におつきあい下しまして
ありがとうございます。
2010年があなたにとって、すてきな出来事で
みちていますように・・・。

       
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