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生
き
て
い
る
あ
か
し
を
ひ
と
つ
音
に
刻
ん
で
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ガラス窓 あなたの息で 曇る夜更けは
ときどき、音楽に沿ってじぶんの
きもちが決まってゆきそうになるときが
ある。
すでにこぼれだしてる。
耳をすますなんてことをしないでも
どこからかやってきて、するりと
耳の中からこころめいた場所めがけて
ひっそりと、潜んでしまう音。
この間、あたたかなイブの日に
タクシーを降りた途端、そういう経験をしてしまっ た。
降りた場所の近くが、DJブースになっていて、
耳なのかどこなのかはわからないけれど
その曲が耳の先に触れた途端、どうしてなのか
なぜか懐かしがってるような感じが、あふれてきて。
歩きながら、照れてしまうような感覚に陥った。
その歌は、母が新聞をよんだり植物図鑑と
くびっぴきになっていた時にいつも流れていた
ような気がするので、聞いた覚えがあったのに
思い出せなかった。
だから、ずっと頭の中に棲まわせておいた。
強烈な思い出がその曲にあるとかじゃないのに
どうしても、その音が段々遠くなるのに
わたしの耳の中では、どんどんらせんを描くように
濃くなってゆくのがわかった。
むかし、ベネゼエラのオーケストラの
ドキュメンタリーを見ていて、印象に残った >ことばがあった。
うろ覚えだけれど、<音色は消えることのない指紋。
音色は、決して自己完結することはなく常に
なにかのために存在している>
そのことを思い出したのは、家に帰り着いて
夜遅くのことだったけれど、頭の片隅に置いておいた
メ ロディーの断片をひろいあつめる。
たぶんアンディーウイリアムス。
ボーカルに辿り着く。
母のCDをトレーに載せて、?ボタンにふれたせつな。
耳の中の欠片のようなぽっかりあいたメロディーの
空白のなかにすっぽりとおさまったのは、
やっぱり彼の歌う曲だった。
「酒と薔薇の日々」
だったんだと気づいた時は深夜をまわっていたけれ ど、
音のつらなりが、あまりにもムーディーなのに
はじめからその歌がすきだったみたいに
その音楽によって、すべてじぶんの気持ちが
くるまれていった。
わたしのではなく、たぶん母の思いでの中に
棲んでいる歌のはずなのに、なにかとくべつな
出来事がこの曲のうしろっかわでは起こっていた
かのような錯覚におちいった。
であいがしらの音に、無防備なわたしは
いつもなにかしらの感情を預けたくなる。
クリスマスにあまりいい思い出はないけれど
ことしのイブに「酒と薔薇の日々」に出会えたことは
ちょっといろんなことをちゃらにしてくれそうで
ありがたかった。
今年もうたたね日記におつきあい下しまして
ありがとうございます。
2010年があなたにとって、すてきな出来事で
みちていますように・・・。
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