その二七五

 

 






 






 







 























 

なつかしい 海の砂蹴って たぶんしあわせ

よわいくせに、ひかれる。
少し、からだに変調をきたすというのに
そこに近づきたくなる。

だめだよっていってるじゃないって
いわれても、その声は耳のどっか遠くに
ほっぽといて。

そして、そこにたどりつく。

らせん階段。
いつか映画を見ていたら、犯人らしき人が
アールヌーボー調のらせん階段をずっと
うずまきのかたちに猛スピードで降りてゆく
シーンがあった。
追っ手につかまらないようにと願いながら
みていたら、ふいに酔ったようなめまいがした。
いっしょにらせん階段を降りていたような
感覚におそわれた。  

みているだけなのに、目で辿っているだけなのに
おかしな気分におちいってしまうのは、
よっぽどじぶんのもっている
三半規管は、あやしいらしい。

どこかにせものなんじゃないかって
思う事がたびたびある。でもそのせいで
なんだかとっても螺旋状のものが好きになって
しまった。

どことなく不快なはずなのに、あんまりそれを
正しい位置にもどそうとは思えない。

めくらうなぎでは、この三半規管が1個しかなくて
やつめうなぎの類では2個しかないらしい。
彼らの仲間入りをしているようなそんな気分にすら
なってくる。

グラビアページの土佐沖の巻貝。
ちまきぼらっていうらしいのだけれどその成り立ちが、
貝殻っていうよりもひとつの建物のようにもみえてくる。
キャプションには、ヨーロッパの古城のようって
形容されていたけれど。ほんとうに言い得て妙だなって
納得してしまった。
その貝のからだの外側のマット感と、遊びをひかえた
らせんの形が、ひとつの建造物にみえてくる生き物の
ふしぎ。

いつだったか<世界町歩き>でみた、ジェノバに住んでいる
アーチストの男の人のことばにひかれた。

<この町は、うずまきのかたちに包まれているから
海の底にいだかれているような安心感がある。
そして家の屋根で守られている感じがするんですよ>

うずまきのような、町をはやく俯瞰してみたいと思った。
どこかにたどりつくまでに、誰ともすれちがっているのに
すれちがっていないようなそんな錯覚にとらわれてみたいと、
どことなく、めくらうなぎめいたしがない頭で夢想していた。

       
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