その二七九

 

 




 







 









 























 

たたかいが からだとからだに きざまれてゆく

両国のホテルのすこし曇った窓から、
現在、工事中のスカイタワーをみんなと見る。
その時の高さは、地上379メートルらしく。
2階のフロアでみた時と25階から、ちがった
アングルで眺めた時とは、ちょっとおもむきが
違う。

なんとなく携帯で撮ってみる。
出来上がった姿よりも途中の姿ってのも、
なんとなく傷ついた塔の姿に見えて来て、ふしぎだった。

いっしょにいたひとりの人がなんだかへし折られた
みたいでかわいそうだねって、子供みたいな感想を
口にしたのを聞いて、同時に同じことを思ってたみたいで
こころのなかでうれしくうなづいた。

携帯で写真をチェックしながら、画面の中におさまってる
ちっちゃな塔が、いま日本にある建物の中でいちばん高い
ものだとは、ちょっと認識しにくい。
たとえば人をとっても、画面の中の小ささにしかみえないって
ことはなくって、等身大で会っている人の大きさを頭の中で
変換しているせいか、なっとくしやすいというのに。

<ポラは撮った瞬間、過去にみえるけれど
デジタルはそうならない>。
そんな森山大道さんの言葉がふと頭のどこかをよぎる。

携帯の中の写真もふしぎな風情で、なんていうのか
現在も過去も未来という時制というくくりからはみだした
そんな時間の感覚を持っている感じがする。
でもそんなことはどうでもよくて、気もそぞろに
なりだしてきた4時前あたり。

雨がはげしくなってきた中を、国技館まで急ぐ。
生まれてはじめてお相撲をみるために。
お茶屋さんが廊下の両サイドにならぶ雰囲気は、ココは
日本であるけれど、携帯もパソコンも地デジも
iPadもツイッターなんかもないずっとむかしの日本が
生きている感じは、時間制限でこの時代に降りてきている
気分も手伝って、わくわくする。
出方さんのあのきびきびした動きに見蕩れながら、早足に
案内された席につく。

花道を通る名前もしらない力士の方の横顔と体つきが
とても美しい。
土俵で負けていても、花道を通る姿は凛としていて、
きびしさと、身に降り掛かったなにかとても大きなものを
享受しながら、まっすぐ歩いてゆく姿にほれぼれしてしまう。

からだとからだがぶつかりあうおと。はねかえる思い。
声援が、あちこちで生まれて、どこかにはじけて耳に
吸収されてゆく。

見に来たのにいまこうして思い返すとなにかをじっと
聞いていたんだなって気分にもなってゆく。

あの同じ臨場感をわかちあった、いっしょにいた人たちとも
ぐっと親近感を憶えて、なかよくなったような気がした。

帰って来てから、携帯をみていたら、とっぴょうしもない
二枚が保存されていた。
東の力士も西の力士も土俵の上で、まわしの色が
それぞれにじんで入り交じった色鮮やかな光の帯のように
なった写真が、あらわれた。

やっぱりそれはいつの時制かわからない、はじまりも
おわりもないがくんと切れ間やはざまを携えた、そんな
時間が写り込んでいたような気がする。

それはそれは、えんぷてぃ、えんぷてぃーな一夜でした。

       
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