その二八九

 

 





 





 














 























 

ぶーめらん 放たれてゆく まなこから遠く

八月のまんなか。
太陽がぎらぎらじりじりしている空の下
近くに住む甥っ子が、自転車を全速力で
漕ぎながら、家へやってきてくれた。

二週間ほどオーストラリアまで行っていた
男の子っぽいおみやげをもらう。

はしっこが黒く塗られていて、まんなかには、
木の肌を生かしたウッディなかわいい
カンガルーのデザインが描かれている
ブーメラン。

くの字型をしていたのは、知っていたけれど
意外とやさしい角度をしているブーメランを
こうして手にとるのは始めてかもしれないなって
思いながら、その形と色がとても気に入ってしまった。

アボリジニの狩りの道具でもあり、同時に遊び道具でも
あるところが面白いなって思う。

オーストラリアの家庭におじゃまするホームステイを
経験してきた彼は、旅の前と後ではこころなしか
たくましく日々を重ねたようにみえた。

ちっちゃい頃、石段のひとつをあがるのにも
覚束なかったあの足が、今は父親と同じぐらいの
サイズになって玄関にスポーツシューズが
並んでいるのを見ているとなんだか、ふしぎな気分に
なってくる。

去年あたりに声変わりして。
声変わりと共に、立ち居振る舞いが落ち着いて
みえたとき。
あ、もういままでの彼はいなくなったみたいな
さびしさに似てすこしちがうような
とおいところにこどもがひとりぽつねんと
佇んでいるような感覚になってしまったことが
あった。

こどものいないわたしには、いちいち
立ち止まってしまいそうな日常が、男の子が
通る道のひとつをまのあたりにするって
こういうことなのかもしれない。

おとなにむかっている道を歩んでいる彼が
この先いつか海の向こうで過ごした今年の夏
思い出すときがあるんだろうなと思う。

それにしても投げる風をまといながら戻ってくる
ブーメランに郷愁を感じる、八月の終わりだった。

       
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