その二九三

 

 




 






 
















 























 

ふるえるって 風のまにまに ふるえるって

みみ。め。はな。くち。て。
どの感覚も大事だけれど、どうしても
ほっておいても気になるのが、耳かもしれない。

みみをすましてなんておもっていなくても
するすると音は、耳元に入ってくるし。
入って来たものはどうやってそこへ
たどりつくのかどこかしとしと下りてゆく感じで
胸元あたりにおちついて。
へたしたら聞いてしまった音がそこにすみついて
しまうこともあるやっかいなしろものだ。

夜になると、昼間の喧噪も眠ってしまっているかの
ように静かになって、いろんな生き物や無機質な
ものたちがたてる音がくっきりと
浮かびあがってくる。

どこか遠くで鳴っているサイレンもそうだし
自転車の車輪からもれてくるぎこちない
金属めいためぐる音。
台所に立って洗い物をしていても流している水の
すきまからきこえてくる庭のどこかにいるらしい
秋の虫の声に耳がすりよってゆく。

ある日、新聞の記事を読んでいたら音の特集が
されていたのできりとっておいた。
雨の音それも土砂降りの音、音楽用語で「ドローン」
というらしい持続した低音がすきだという
ミュージシャンの細野晴臣さんのことばが
紹介されていた。

バリ島のジャングルで聴いたセミの声が忘れられない
と語っていらっしゃった。
まるくあいた円形にかたどられたような場所に座って
いると、一匹のセミの鳴き声が聞こえてきて、
しばらくしたら、どんどんりえぞんしてゆき
おしまいにはサラウンドで鳴き声がまわりをぐるりと
囲んで聞こえてきた時のエピソードが印象的だった。

でもたぶん想像はおいついていなくて。
じぶんの耳がしっているちいさな範囲でしか音色が
再現されないことがすこし惜しい。

時折、レコードをかけている古い店にゆくと、
針を落とした瞬間のあのノイズが心地よく
感じられたりする。
周波数の幅が狭かった分、どろくささといっしょに
音の包容力みたいなものまでこっちに
連れて来ているのかもしれない。

音がどんどんデジタルに処理されてきれいになって
ゆくほど、じぶんのみみとの相性は離れて行って
しまう不思議。

こばみたいおとにまみれてくらしてはいるけれど。
ってあらためて気づいたら、きのうぽつぽつと降る
雨の中で話した人の声を思い出していた。
ゆっくりとりんかくをぼんやりと描いたけれど、
それはすぐにどこかにとけていってしまった。

       
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