その二九七

 

 






 
























 























 

ひとしずく まことのほうへ かたむきかけて

書道を何年もならっているというのに
上達はおろか、ときおり筆の存在が
手に余ってしょうがないときがある。

ついこの間まではなかよくやっていたのに
たぶん仲がよくなりすぎたせいなのか
近頃、ちっともこっちのいうことを
聞いてくれない。

クリスマスあたりに、横浜の赤レンガ倉庫会館で
行われる門下生達の書道展の締め切りも押し迫って
いた、10月の半ば。

無銘の筆だったけれど、とても気に入ってた。
奈良の工房でつくられたことしかわからないけれど。
とにかく相性はよかったのだ。
無銘であることのここちよさ。
そんな風通しのよさも手伝っていた。

でも、筆にきらわれてしまったら、しょうがないなと。
何でかけばいいのか。
新しい筆という選択を捨てて、わたしは指をえらんだ。
ゆびでかく。

じかにやるとうまくいかなかったので、
ビニ手をはめて、ひとさしゆびで字をかいた。
これが、とてもここちよかったのだ。
ビニール手袋の内側がたちまち熱くなるのに
墨のたまりにひとさしゆびをしたたらせたときの
冷たさの感触は、筆では味わったことのない
感覚だった。

絵皿の中の水の上に墨をたらしながらつくる淡墨で、
今回はにじまない紙にしたためた。
そうそう、にじんでばかりもいられないと
今回はきっぱりと、墨を弾くような紙を選んだ。

日曜日の真夜中。なんどもゆびが紙の上をはしってゆく。
ときどきたたずみながら、呼吸をみだしながら
それでも前へ進まなければと言い聞かせ。

ひとさしゆびの先がうごいて文字を形作って
ゆくとき、うまく名付けられない感情も
いっしょに半切の上へと放たれてゆく。

朝方筆を洗いながら、気づく。
たぶんもどかしかったのだと気づく。
指とこころのあいだをとりもつ筆が、まだるっこいって
感じだったのかもしれないなぁと。

ちゃんと、原始にもどってゆびで書いて
だれかに伝えたかったのだ。
幼い頃、運動場でしゃがんでいるときなんとなく
指で砂に文字を書いたりしたときの楽しさや
絵の具を指にくっつけて、画用紙を彩った時の
ざわざわした気分を思い起こして。

あれから何十年経った今はっとした。
じぶんのゆびで書いたことは、なんだか
筆でかくときよりも嘘をつけないようで。

       
TOP