その三二一

 

 






 






 































 























 

十三夜 風のりんかく あやふやになって

10月9日。
車座。というポエトリーリーディングを聞くために。
夜の6時頃の横浜を歩いていた。
日本大通りを抜けて、象の鼻パークにちかづくと、
大きなドミノのような青いひかりにつつまれる。
あたりはLED照明に照らされて、人の顔もおぼろげに
しかみえない。

でも、そのあかりのそばでいろんなひとたちが、携帯を
欲望のままかざしている姿が印象的だった。
あたりは静かだというのに、ひとりひとりのこころと
こころがざわざわしている。

なにかすてきなものをみつけたひとの目のように
こわいような、いきいきしている目のひとを
なんにんも目撃してしまった。

そばにいかないと、よく誰なのかもわからないから
すぐにはぐれてしまいそうだけど、どこのだれにも
なれるような感じは、まだ行ったことは
ない、ベネチアの仮面舞踏会のようだとも
夢想してみたくなる。

今まで、美しいと思っていた夜景はどれもこれも
うそだったかのように、静かな光に導かれるように
客席に着いた。

車座。
海がすぐそばの野外のその会場には20台もの車が
止まっている。
お客さんの座るテーブルセットをぐるりと囲むように。
照明や音響も舞台に設置されているのではなくて、
その車でまかなう。
車座は、象の鼻テラスを中心とした、省エネ技術とアートが
一体となったアートプロジェクトの一環。

谷川俊太郎さんの詩の声と覚和歌子さんの詩の声が
風にはこばれてくる。
それは耳にするまえ、きっとふわふわと潮風の中にまぎれて
しまうのかなって思っていた。
詩のことばがゆっくりと、耳に入ってきて
ぼんやりと意味がそのあとをおいかけるうちに
おだやかに時間がすぎてゆくことに気がついた。

詞が風にふきとばされてゆきそうになるまえに
それはどんどん耳から入ってからだのどこかへと
しずかに着地する。

こころに響くことばはいつのまにかじぶんの
内側へとどんどんふりつもってゆくものなんだなって
思う。

十三夜をぶあつい雲が隠してしまったので、テーブルの
あたりはちいさなボックス型のキャンドルの灯りしか
みえない。
となりのひとの背中がすこしうごいて。
ゆびがなにか文字を描こうとしている。
なにもよくみえないけれど、暗闇の中で描く文字は
とても大事なことを伝えようとしていることばの
つらなりにみえるものなのかもしれないなって。

そのことばがどこかしら祈りに近づいているような
予感をもって、わたしは再び谷川俊太郎さんの
ぽつりぽつりとこぼしてゆく詩を、
おしまいまで拾い続けていた。

       
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