その三二九

 

 





 







 








 

ひたひたと 音のかたちに しずくこぼれて

落ち葉を踏むときのしゃりしゃりっていう音を
耳にしていると、それは耳で聞いているのではなくて
どこか奥の奥のほうで聴いている気がしてくる。

じぶんも把握できないような場所が、
からだのなかには、いたるところにあって。
ときどき音のなるところとそれが、うんうんと
互いだけがわかりあったかのように無言で頷きあう。
琴線にふれるって、もしかしたらこういうこと
なんだろうかって思いながら、トランペットの音に
耳をすます。

<卵の殻の上を歩くような>っていう表現に
ずっとひかれてて。
モザイクめいたまっしろい粉々。
踏んではいけないものを、ソールを通して足裏に感じながら
かすかな罪悪感を伴いながら、からを踏んで。
マイルスデイビスが、ミュートをかぶせてトランペットを
奏でた時のデリケートな音を、そんなふうに
評していたことを、いつかきいたことがあった。

黄身と白身を覆っていたカラ。
外側の世界と隔てていたものが、ぐらぐらと
ゆさぶられる時。
われてしまった白い欠片の上に、一歩をふみだすときの、
物憂い危うさ。
繊細ってことばにすると、もうそこから繊細さがみじんも
かんじられなくなりそうで、こわいけれど。
いま彼の音を聴いてると、そこにあてはまる名詞は、
たまご以外のなにものでもないような気がしてくる。

音にはすべて、表情があって。
楽器じゃないものが、放つ音にもこころに余裕の
あるときは、 すっと耳にはいってくる。

となりで誰かがぺーじをめくるとき。
蛇口からしずかなリズムでしずくがタイルの床に
したたるとき。
チーズを包んでたフィルムがゆっくりはがされるとき。
猫が真夜中ひとりで水を飲むとき。
どこかで誰かが名を呼ぶ声。

そして、すべての音のあとにほんのつかのま
やってくる、沈黙。
言葉の裏側にあるのが沈黙だってことばを読んだ事が
ある。
いろんな音が、あちらこちらにほとばしったあとに
訪れる凪のような時間。
静寂は静寂だけでなりたっているわけではなくて、
音が鮮やかであればあるほど、その静寂は深くなる。
静寂はたぶん音が産み落としたたまものであるのかも
しれないなって思う。

音と音のあいまをうめるように沈黙がぬりこめられて
ゆくそんな夜と昼にあこがれる。

       
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